竹田昭彦・日誌(#01)・5月06日(金)    


東京・夢の島を出発

長崎広島コースのリレー横断幕を披露


 
東京・夢の島第5福竜丸前の出発集会で挨拶する筆者(右から2人目)。背景の展示は第5福竜丸のエンジン=2016/5/06  
 
「長崎→広島コース」のリレー横断幕を披露する筆者(右端)と五十嵐成臣さん(左端)
=
2016/5/06
 
 
通し行進者激励夕食会で乾杯の音頭を取る東京原水協の石村和弘事務局長
=2016/5/06、港区・中華店
 
 2016年の平和行進は、6日の正午に東京・夢の島の第五福竜丸展示館前で出発集会を開き、午後1時に行進がスタートしました。
 出発集会では、連帯の挨拶をした被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の田中煕己事務局長が、この4月あらたにスタートした被爆者が訴える国際署名の取り組みを呼びかけました。
 つづいて、各幹線コースを通し行進する東京→広島コースの山内金久さん、沖縄→広島コースの山口逸郎さん、宮崎→広島コースの小林和江さん、長崎→広島コースの五十嵐成臣さんと筆者たちと、わかやま市民生協リレー行進者の藤田絢子さんが紹介され、各者が決意を表明しました。
 出発にあたり、筆者の通し行進を推薦する平和遺族会(平和を願い戦争に反対する戦没者遺族の会)の方々も多数参加され、大きな激励を頂きました。
 行進へ移ると、私が通し行進をする長崎→広島コースは、6月28日に長崎の爆心地からの出発ですが、夢の島出発で、そのリレー横断幕を披露する機会がありました(写真中段)。
 また、遠路の広島、大阪、愛知などから駆けつけた知人たちとの再会もあり、激励を頂き、握手を交わしました。
 行進途中の東京駅八重洲口先では、東友会(東京都原爆被害者団体協議会)の方々が被爆者のタスキをかけて多数参加され、総勢30数名が先頭を歩きました。
 被爆者が生きているうちに核兵器をなくしたい思いが、強く伝わってきました。
 午後5時50分、行進の後半に小雨も降ったが、終点の港区役所前にある区立芝公園・平和の灯前へ、無事着きました。
 参加者は、延べ700人で11.8km歩きました。
 行進後、通し行進者激励夕食会を開いて頂きました。
 夕食会では、東京原水協(原水爆禁止東京協議会)の石村和弘事務局長から、東京の平和行進の取り組みについて、嬉し話しを聞きました。
 今年は、昨年まで単独行進していた世田谷区と目黒区が、幹線の中野区から世田谷区にも「引き受け」、目黒区、渋谷区、新宿区へ「引き継ぐ」ことになったのです。
 昨年、それ迄、単独行進していた渋谷区が、中野区から「引き受け」、新宿区へ「引き継ぐ」実績の発展です。
 参照 http://www.takeda-a.net/15-7-22.html
     http://www.takeda-a.net/15-7-23.html
 世田谷区の発展の切っ掛けは、今年、山田太枝さんが北海道→東京コースを通し行進したいと手をあげたことです。東京都の平和行進実行委員会の会議も、しばらく(27年)ぶりで開かれ、2桁の参加者があり盛大だったそうです。
 山田さんは、地元の世田谷を「北海道→東京」のリレー横断幕を持って行進できる様になりました。
 私は、東京の通し行進を5回行う中で、色いろ気づいたことを率直に提言してきました。主なことは、引き継ぎなどの連携のことです。2002年の行進のとき、埼玉県から東京都への引き継ぎが直接行われず、リレー横断幕や団体リレー旗が宅急便で送られていたことや、米沢で託された千羽鶴が、広島、長崎へ届く手立てをせずに、飛んで行ってしまった現場を見て、大きな疑問をもったからです。
 言い過ぎたこともありましたが、東京の発展を心から喜んでいます。
 参照 http://www.takeda-a.net/02-7-21.html  http://www.takeda-a.net/02-7-24.html
     http://www.takeda-a.net/10-7-24.html  http://www.takeda-a.net/10-7-25.html
     http://www.takeda-a.net/10-7-27.html

 
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