竹田昭彦・日誌(#80)・7月22日(水)  

行進の連帯すすむ
中野区から 新宿区と渋谷区へ引継

 
甲高いシュプレヒコールに耳を手で塞ぐ子ども
=2015/7/22、杉並区
 
 
杉並区の青年(右)から中野区の青年へ国際青年リレー・タスキを引き継ぐ
=2015/7/22、中野区・杉山公園
 
 今日は、杉並区の区役所訪問と行進、中野区、新宿区の行進です。
 天気は、昨日に続く快晴で、午後から時々強い風が吹きました。
 午後0時20分、杉並区役所で出発集会が開かれ、区長からのメッセージを担当課長から披露されました。メッセージでは、「杉並区が原水爆禁止署名運動の発祥地です」と強調されました。
 原水爆禁止署名運動のはじまりは、アメリカが1954年3月1日、中部太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験がきっかけです。
 その直後に、署名運動が杉並区の漁店からはじまり、全国へ広がりました。
 そして、1955年の原水爆禁止世界大会の誕生、1958年の平和行進の誕生へと発展しました。
 午後3時35分、新宿区の中央公園で、中野区から新宿区と渋谷区への引き継ぎ式が開かれました。
 これまでは、新宿区への引き継ぎだけでしたが、今年は渋谷区へも引き継がれ、大いに注目しました。
 聞きますと、明日の出発地点の新宿区役所へ、「渋谷区から行進してつなぎたい」と言われます。連帯の機運を感じ、私も渋谷から歩きたいと思いました。
 これまでは、渋谷区内の単独行進で終わっていたからです。
 午後4時55分、新宿区の区役所手前で、今日の
行程が終わりました。
 新宿区の行進では、2002年に北海道を一緒に行進した、中野区の松下正光さんと再会しました。行進終了後、夕食をともにし、四方山話しに花を咲かせました。
 東京の行進では、西多摩地域全体で行進実行委員会を組織し、同じ宣伝カーを運用している以外、自治体毎に宣伝カーを交替すことが多いです。引き継ぎ時間に余裕がないと、持参した荷物の積み替の確認を、怠ってしまいます。前回(2011年)は、宣伝カーが団体リレー旗を引き継がず、去った事がありました。
 また、宣伝カーに「平和行進」の看板が、有ったり、無かったり、まちまちです。
 その上、語尾に力が入った甲高いシュプレヒコールは、沿道で聞く人に緊張感を与えるようです。
 今日は、耳を手で塞ぐ子どもを2人見ました。その1人を、撮ることができました(写真上)
 大人はガマンしますが、子どもは直ぐ不快な反応します。
 参照 http://www.takeda-a.net/14-8-07.html
 行進は、4区間を参加者80~60~80人で11.2㎞です。