竹田昭彦・日誌(#34)・6月06日(土)  

能代市で平和集会
被爆者や 沖縄から 訴える  

 
能代市を行進=2015/6/06  
 
能代市の平和集会で訴える佐藤力美秋田県原爆被害者団体協議会代表(左)
=2015/6/06、能代市けやき公園
 
 今日は、北秋田市を宣伝カーでPR、能代・山本地区への引き継ぎ、藤里町、能代市を宣伝カーでPR、能代市の行進と集会です。
 天気は、晴れですが、午後に冷たい強い風が吹きました。
 午後1時30分、北秋田市を宣伝カーで出発し、テープの音声で訴えながら、引き継ぎ場所へ向かいました。北秋田市から藤里町へ入った「きみまち坂」が引き継ぎ場所でした。
 宣伝カーのCDレコダーの調子が一昨日から不調で、私が持参したカセットレコダーが役立ち、よかったです。
 午後2時30分、引き継ぎが無事終了しました。
 そこから、藤里町、能代市を宣伝カーで周り、テープの音声と、アナウンサーの声で訴え、能代市役所へ着きました。
 道中、白神山地の稜線がくっきり見えました。世界自然遺産に登録されたエリアの4分の3は青森県で、4分1が秋田県です。秋田県の分が、全て藤里町に属すことを知りました。
 午後5時30分、能代市役所脇の「けやき公園」から行進が出発し、市街地を1周して戻りました。
 その場所で、能代・山本地区の平和集会が開かれ、主催者と私の挨拶、6団体から情勢報告と決意表明がありました。
 被爆者代表の佐藤力美さんは、秋田の被爆者の平均年齢は84歳になり、生存者が少なくなっていると話され、「生きているうちに核兵器の廃絶を」と、強く訴えました。
 沖縄から来県していた、やんばる統一連の吉田務さんは、安倍内閣が狙う集団自衛権の行使と辺野古米軍基地建設は一体であると訴え、「秋田県民、能代市民と連帯した反対闘争の強化を」と訴えました。緊迫した情勢がひしひしと伝わり、冷たい風を吹き飛ばす、身のしまる集会でした。
 行進は。参加者45人で1.5㎞です。