2014年 原水爆禁止 国民平和大行進  
竹田昭彦日誌(#12)・5月17日(土)
〈 “ガラスのうさぎ”の歌を合唱 二宮町役場 〉
大磯町役場の「核兵器全面禁止のアピール」署名コーナー
二宮町役場で「ガラスのうさぎ」の歌をうたう(右から2人目)副町長
 今日は6コースあり、私はAでマギティング・ファブロスさんと一緒です。
 平塚市、大磯町、二宮町の役場
訪問と行進です。
 大阪の田中薫さんは、Bで厚木市、伊勢原市を担当します。
 田中さんは、神奈川県の土地勘がなく、平塚駅前の宿からバスに40分乗って厚木市へ行くため、昨夜はバス停を下見したり、時刻を入念に知らべていました。
 天気は終日晴れ、爽やかでした。
 9時、平塚市の中央図書館前で出発式が開かれ、落合克宏市長から激励の挨拶を頂きました。
 平塚市は戦時中に空襲を受けた都市です。私の挨拶では、戦没者の遺児として戦争反対の連帯を表明しました。
 昼に到着した大磯町役場には、「核兵器全面禁止のアピール」署名コーナーがありました。
 年間を通して設置されています。
 役場の隣の保健センター・ホールを、昼食休憩場所に利用させてもらいました。
 「平和行進休憩所」と書いた張り紙が、2か所にあり、気遣いを嬉しく思いました。 
 午後4時15分、二宮町役場に着き、町長(代理副町長)と議長から激励の挨拶を頂きました。
 挨拶では、「紛争問題を有利に運びたいため、近代兵器を開発するが際限がなく、被害が大きくなるだけです。武力ではなく、話し合いで解決する努力が必要」との趣旨を述べられました。その通りだと思います。
 そして、副町長が自らも「ガラスのうさぎ」の歌を、参加者全員と合唱しました。
 「ガラスのうさぎ」の歌は、終戦直前の1945年8月5日に二宮駅周辺が艦載機の機銃掃射を受け、疎開していた12歳の少女の目前で、父が亡くなりました。
 悲しみをのり越え、けなげに生きる少女の戦争体験記「ガラスのうさぎ(高木敏子作)」をテーマに作られた歌です。
 父が東京で経営していたガラス工場が、先に空襲で焼け、ガラスのうさぎが歪んで残っていたものです。
 母と妹も、東京空襲で先に亡くなりました。
 JR二宮駅前に、ガラスのうさぎを手にした少女の「ガラスのうさぎ」像があります。
 そこを行進で通り、20分ほどとまって、説明を受けました。
 今日の行進は、参加者が区間により160〜80〜90人で、歩いた距離は11.8�劼任后�
             
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