2014年 原水爆禁止 国民平和大行進  
竹田昭彦日誌(#11)・5月16日(金)
〈 定年になって 被爆体験を話す 〉
寒川町を平和行進
平和行進を安全に進める警察官の交替=茅ヶ崎市と平塚市境の相模川馬入橋手前
 今日は3コースあり、私はBで、午前に寒川町役場から茅ヶ崎市役所まで行進します。
 午後は、BとAが合流した茅ヶ崎市役所から、平塚市まで行進です。
 天気は晴れですが、風がでました。
 風が強いときは、帽子が飛ばされるので、かぶりませんでした。
 そのため、毛のない頭部が陽に焼けました。
 9時30分、寒川町役場の玄関前で出発式が開かれ、町長のメッセージを町民部長から披露されました。
 部長は、玄関から相当離れた道路まで出てきて、行進を見送られました。 出発式のときに挨拶された清水信雄さん(上の写真右側)は、2歳5ヶ月のとき広島で被爆しました。
 被爆したことを伏せて生き、60歳の定年を機に話すようになったそうです。 今は、被爆した実相を伝える活動をしています。
 清水さんは、被爆した当時を覚えていると話しました。
 父におんぶされていたとき、ピカッと光ったそうです。お姉さんは嘘だと言っていたが、被爆60年のときに実家のあった場所を訪ねると、近くにある小川などの記憶を確認したそうです。 
 清水さんは5人兄弟で、別々に叔父や叔母に預けられ育ったそうです。
 15歳から働きに出て、27歳になって、安定した生活が出来るようになったそうです。
 私も、食い扶持を減らすため父の実家に預けら、清水さんの話と重なり、涙しました。 
 毎日の行進には警察官が出て、車の通行を規制するなど、行進者の安全を保っています。
 道路を行ったり戻ったり、行進者より余計に歩きます。
 昨日は、葉山町からから逗子市へ向かう途中、トンネルの車道を歩いて通ったとき、隊列の後方に渋滞した車を、対向車線を利用して通しました。
 初めての体験で緊張し、びっくりしました。
 考えてみれば、トンネルには普通交差点や脇道がなく、人や車が飛び出す心配がないから、対向車だけを止めれば最も安全かも知れません。
 それにしても、凄い判断です。
 行進が終わったときや、所轄の警察署が替わって引き継ぐときなどには、私たちが「有り難うございます」、「よろしくお願いします」と挨拶しています。
 宣伝カーから「お礼の拍手を!」というところもありました。
 事故のないよう、迷惑のないよう、行進できることが何よりです。 
 午後の茅ヶ崎市役所の出発集会では、市長のメッセージを代理の幹部の方から披露されました。
 今日の行進は、午前のBコースの参加者が30人前後で、歩いた距離は5.1�劼任后�
 午後のAコースは、参加者が100人前後で、歩いた距離は7.1�劼任后丙F�の合計12.2�辧法�
             
copyright(c) takeda akihiko all rights reserved.