竹田昭彦日誌(#39)6月13日(水)


〈募金と菓子をいただく〉

いただいた募金と菓子
=美濃市
 今日の行進は、美濃市、関市、岐阜市です。
美濃市の行進では、行進参加のご婦人から、1年間で貯めた募金とお菓子をいただきました。募金はビニール袋に沢山のコインが詰まっていました。買い物したときの釣り銭などを、コツコツと貯めたそうです。お菓子は、通し行進者で食べて下さい、とのことでした。郡上八幡名物の肉桂玉(ニッキ飴)もありました。ありがとうございます。
 これまでの行進中には、いろいろな品物をいただきました。その中で多いのは、憲法9条に関するグッズです。9条リストバンドから9条草履(ぞうり)まで、多種多様です。おそらく、全国では無限の種類と数でしょう。国民が、9条を守ろうとする、9条を普及しようとする、知恵とパワーを感じます。
平和遺族会の行進旗
=岐阜市
 岐阜市の行進では、私の平和行進推薦団体の平和遺族会(平和を願い戦争に反対する戦没者遺族の会)会員が参加されました。岐阜県には、支部があります。私は、平和遺族会のリレー旗と横断幕を持っていますが、会員の参加がないと、掲げる機会がありません。私は、中央実行委員会の横断リレー幕を持つことが多いからです。今日は嬉しかったです。
 被爆者の平均年齢は、75歳といわれます。戦没者の遺族も高齢化しています。戦没者の妻や兄弟は、80歳、70歳を超えました。遺児も、60歳を超えています。あと10年たてば、平和行進へ参加できる人は、極わずかになってしまうでしょう。
 生きている内に核兵器をなくし、戦争のない世界をつくりたい。願いは同じです。 子どもが、親の50回忌を営むような、社会をなくしたい。
 岐阜県に入ってから、どこの自治体の行進でも、自衛隊の戦闘機の爆音をききました。日本が、戦争する国の準備をしている状況を、岐阜県でも知りました。
 各務原市の行進では、市民の中に自衛隊に勤めている人の家族があり、これまで行進していた、自衛隊の航空基地周辺コースを自粛したようです。私は行進後に、2機編隊の離陸を目撃しました。神奈川の厚木基地に匹敵するよな爆音です。自粛に、不満を述べる人もありました。
 今日の行進参加者は、区間により30〜100人でした。歩いた距離は12.5qです。