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台湾訪問(5月24~28日) ②
原住民の反乱 霧社事件

 
 
霧社徳龍宮(旧霧ケ丘神社)入り口(鳥居)=2026/5/26、台中・霧社  
 
霧社原住民抗日群像
=2026/5/26、莫那魯道紀年公園
 
 
抗日英雄の莫那・魯道(モーナ・ルダオ)の像
=2026/5/26、莫那魯道紀年公園
 
 
霧社事件跡(現発電所事務所)右下が事件の案内立て看板
=2026/5/26、台中・霧社
 
 
白い矢印が現在の日本人殉難記念碑跡地(緑線は歩いたGPS軌跡)=2026/5/26、台中・霧社  
 
霧社事件の日本人殉難記念碑跡地前の立て看板=2026/5/26、台中・霧社  
 
左の高台が移設された日本人殉難記念碑地、下部が移設前の殉難記念碑跡地
=2026/5/26、台中・霧社
 
 
台湾産「紹興酒」を甕倉で熟成
=2026/5/26、台中・埔里
 
 3日目、台湾が日本の植民地だった時代に起きた、霧社(むしゃ)事件(1930年(昭5年)10月27日)の現場を訪ねました。霧社事件とは、日本の台湾総督府が山岳地へ追われて暮らす原住民の土地を、国有化して山林資源の開発を進めました。原住民達は、警察官等の弾圧や慣習を禁じた強行策に、反抗した武装蜂起です。その結果、日本人132名(他に現地人2名)と、その後の日本側の反撃で、原住民等約1000人を殺害(又は自殺に追い込む)しました。現在、その一帯を後世に伝える史跡として整備され、保存しています。
 そこへ行くのに、昨日泊まった日月潭から専用バスで埔里(プーリー)を通り、後半は、山岳に入って上り(公路14号線:最標高1450m)、最後は箱根の剣より曲がりくねって下り、霧社(標高1250m)の中心街へ着きました。その周辺は、道幅が狭く大型バスの乗り降りするスペースがない為、徒歩で霧社徳龍宮の鳥居を右手に見ながら目的地を巡りました。
 最初に見た鳥居の「霧社徳龍宮」は、日本の植民地時代に日本が建てた旧名「霧ケ丘神社」でした。そこには、霧社事件で亡くなった日本人が祀られてあったそうです。現在は、関連物は撤去され「霧社徳龍宮」に改名されいました。
 そこからバスで来た道を1㎞程戻った所が「莫那魯道紀年公園」でした。入り口に「碧血英風」と書かれた白亜の大きな門があり、中に入ると霧社原住民抗日群像、英雄の莫那・魯道(モーナ・ルダオ)の像と墓、霧社山胞抗日起義紀年碑等がありました。ツアーの一行は紀年碑に花を手向け、反戦平和を誓いました。他にも参拝者や見学者があり、訪れる人が多い様でした。
 その後、400m程歩くと霧社事件の現場(元霧社公学校)へ着きました。事件の起きた当時の学校は現存せず、校舎跡地に「萬大発電所第2事務所」が建っていました。そして、校庭の奥にあった日本人殉難記念碑の間に、公路14号線(埔霧公路)が開通し、道路が校庭を分断する地形になっていました。なお、日本人殉難記念碑(別名日本人慰霊塔)は既に撤去されていました。そのうえ道路工事の関連で、校庭だった殉難記念碑跡にあった残存物は、その先の一段高い場所へ移設されていました。さらに殉難記念碑跡地と東隣りの「霧社福寿宮」(旧名称不明)の間に、清掃事務所(南投縣仁愛郷清潔隊)が建てられていました。霧社一帯は山麓の傾斜地で、平らな所が無い為の様でした。ただし、元の殉難記念碑跡地には、事件案内等の立て看板や桜の木が植えてありました。その看板前で、偶然にも、南隣りに建てられた交通部公路局霧社事務所の人から、詳しい案内をして貰う事ができました。道路工事で移設した経緯や、命日の10月27日に慰霊祭をしている事など聞きました。その人は、私たちの訪問を大変喜んでいました。ツアー付きのガイドさんよると、特別な人以外は日本人の慰霊碑跡地に立ち寄らないそうです。そして、ツアーの訪問ガイドは初めてと言われました。場所探しに戸惑っていましたから、公路局事務所の人に感謝です。移設された高台では、犠牲者の冥福を祈りました。
 これまで見た「霧社徳龍宮」も「霧社福寿宮」も、台湾の「安定と原住民の慣習や信仰の同化」を進める植民地政策で、日本が建立したものです。台湾の各地に沢山あるようです。日本人の慰霊や参拝と合わせ、台湾住民の創氏改名や改宗に利用したのです。
 徒歩と限られた時間の強行軍のうえ、外の気温は35度(バスや室内は25度ほどに冷房)で湿度が高く(70%以上)、私を含めて高齢者が多かった事もあり、路上の日陰で休みながらでした。にもかかわらず、私の前知識の無いぶっつけ本番の見学でしたが、植民地支配の一端を知ることができました。なお、帰宅後にGPS時計で場所と徒歩の軌跡が大いに役立ち、更に理解が深まりました。
 霧社の見学が終わり、バスで霧社へ来た道を戻り、埔里へ向かいました。そして、埔里にある台湾の紹興酒造工場を見学しました。興味を持っての見学でしたが、甕(瓶、かめ)で何年も熟成させる前の半成品酒を、最初の米と麦の洗う工程から発酵までの流れが、ステンレス系の容器等を使った今風のオートメ化で、少々がっかりしました。かって、見学した浙江省紹興市で「ステンレス系の樽物は本物ではない」と聞いていたからです。親戚のお盆用に20年ものを買おうとしたが、運悪く試飲も出来ず、免税もダメでした。今回のツアーの夕食で5年ものを何回か呑んだが、本来の紹興市の紹興酒に追いつくのは難しい様です。
 参照 06-syanhai.html

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