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原爆投下を裁く 日韓交流 (4)
釜山港で 米軍基地撤去を訴え

朝鮮の出兵する兵士(中央)と家族
=2023/6/9、釜山市・国立日帝強制動員歴史館
「防空壕に朝鮮人は入ることはできない」立て看板=2023/6/9、釜山市・国立日帝強制動員歴史館
米軍指令部ゲート前(左から2人目が筆者、その右がスパーク釜山支部ソン・ギジョン事務局長
)
=2023/06/09、釜山市南区
米軍専用埠頭ゲート前(左から2人目が筆者)
=2023/6/9、釜山市南区・第8埠頭
米海軍基地(右の中央からの突堤に原子力空母が着岸)
=2023/6/9、釜山市・白雲浦
スパーク釜山支部との交流会
=2023/06/09、釜山市・「本と子どもたち」の1階ホール
アリランの替え歌の歌詞
=2023/6/9、釜山市
リンク
 6月9日(金)、午前は釜山の国立日帝強制動員歴史館見学です。午後は白雲浦の米軍指令部見学と、釜山南港第8埠頭(米軍専用陸揚港)の見学です。そして、夕刻からスパーク(SPARK)釜山支部訪問・交流会です。
 午前 日帝強制動員歴史館は、地上7階、地下3階の大きな建物です(2015年開館)。
 案内パンフには、「日本によって行われた強制動員の惨状を広く知らしめ、正しい歴史認識を鼓吹し、人権と世界平和に対する国民教育の場を提供することを目的に設立しました」と書いてありました。
 朝鮮半島全体で、750万人(重複動員も含む)が動員されたと展示してありました。
 多くの人が釜山港から日本に渡りました。そして、動員された20%の人が朝鮮半島の南部地域でした。
 展示品の中で頭を
めぐったのは、上段の写真を見たときです。お父さんが日本軍に入隊・出兵する親子・家族の写真です(上段)。
 私が3歳のとき(1944年)に父が出兵し、その年に中国の湖北省赤壁市趙李橋で戦没しました。私は、父の面影を知らない遺児です。
 写真の出兵した父は、生きて帰れたのか、その子とお母さんはどうなったのか、つのるばかりでした。
 なお、同館を2017年に訪問しています。
 参照 a-korea17-03-22.htm
 午後 米軍指令部(南区)のゲートに行き、説明を受け、日本原水協とスパーク(SPARK)釜山支部交流会の横断幕を掲げ、「米軍基地はいらない!」と声をあげました。
 私は胸が高まり、連帯の挨拶をしました。私が住む神奈川県には、米海軍の横須賀基地があり、第7艦隊の原子力航空母艦の母港です。日・米・韓の軍事力は速連係しています。日韓の市民の連携運動で、米軍基地を撤去させましょう」と訴えました。
 韓国では、無届けの訴えを複数者には認められず、一人でプラカードなど掲げて訴えるようです。スパーク釜山支部長のソン・ギジョンさんは、その闘志でした。
 その後、指令部の海側にある米海軍基地の埠頭が見える高台へ移動しました。いわゆる韓国版「安保の見える丘」です。
 その港の海岸線は、白雲浦と呼ばれ、浦崎に島が列なる釜山の景勝地なのです。
 全景がよく見え、米艦艇が6隻見えました(写真上から5段目)。米原子力空母(長さ330m)の接岸埠頭が気になり、聞きますと、写真の右からの突堤でした。その白雲浦の沖では、先日、日米韓の合同訓練をしたところです。
 次ぎに、米軍専用陸揚港のゲートに行き、説明を聞き、一同「米軍基地いらない!」と声をあげました。
 陸揚港の位置は、釜山駅の裏側(東側)です。釜山北港の第8埠頭と呼ばれ、米軍指令部と至近距離で敷地が繋がっているようです。
 夜間から未明にかけ、釜山駅の線路から引込み線を使って、軍事物資が韓国の米軍基地へ運ばれます。
 神奈川県の横浜港にある米軍基地の瑞穂埠頭(横浜ノース・ドック)も、同じ役割です。
 夕刻 スパーク支部訪問と交流です。
 会場は、釜山市内の「本と子どもたち」(チェッカアイドル)の建物の1階図書店のホールと庭で開かれました。
 交流会は、支部長の歓迎の挨拶、参加者全員が紹介、両団体の活動紹介などがありました。そして、スパークのメンバーによるアリランの歌などもありました。

 歌われたアリランの歌詞は、星州のサーズ基地建設反対闘争を替え歌にしたものでした。日本語の歌詞も、スクリーンで紹介されたので、その現場に行った時がよみがえり、口ずさみました。
 参照 a-korea17-03-24-2.htm
 2016年と2019年の平和行進に、韓国の青年が参加し時も、アリランを歌われました。
 参照 16-6-28.html
     19-8-08.html
 次ぎに、手作りのバイキングで、乾杯を重ねながらの夕食会に移りました。
 舌鼓をうち、宴たけなわのころ、寄せ書きの旗の交換でり盛り上がりました。
 スパーク釜山支部のみなさまの熱烈な歓迎と、お土産をいただき、名残惜しいお別れでした。
 原水爆世界大会で、お会いしましょう。

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