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被災70年・2024年 3・1ビキニデー (2月29日)
署名運動が 核兵器禁止条約を生む

三重県の署名活動報告(街頭で歌や振り付けでアピール)
=24/02/29、静岡市・グランシップ静岡
オーストリアのアレクサンダー・クメント大使のメッセージ(壇上のビデオより)=24/02/29、静岡市・グランシップ静岡
分科会「ビキニ事件と原水爆禁止運動(入門編)」のワークショップで、水爆実験を観た人の手記を輪番で朗読=24/02/29、静岡市・グランシップ静岡
 今日は、昨日に続く全体集会と分科会が開かれ、参加しました。分科会は、第7分科会・ビキニ事件と原水爆禁止運動(入門編)に出ました。
 2017年、
国連で核兵器禁止条約が採択され、21年に発効しました。 ここに至る道のりは、ビキニ事件直後に立ち上がった、原水爆禁止の署名運動が始まりです。
 1954年3月14日、焼津港に帰港したマグロ漁船第五福竜丸は、体調の異常から、放射能を浴びた疑いで、15日に東京で精密検査を受け、米国の極秘の水爆実験が原因と知り、翌16日の新聞で報道され、世界中が驚きました。
 日本中の魚屋さんから魚が消え、大騒動になりました。魚屋さんは、商売にならなくなりました。
 4月はじめ、東京杉並の魚屋さんから、原水爆禁止の署名運動が始まり、瞬く間に全国へ広がりました。 10月には1000万筆、12月には2000万筆を突破しました。
 そして、翌55年の8月には3200万筆を突破しました。当時の有権者比65%、人口比35%です。
 署名は、世界的にも取り組まれ(ウィンアピール署名)、55年8月7日で6億6000万筆(世界人口の23%)になりました。
 この運動は休みなく続き、核兵器使用の手を縛り、核兵器禁止条約発効に至る成果となりました。
 そして、原水爆禁止運動は、55年の保守合同から目論んだ憲法9条改悪をさせず、今日も平和を守る大きな役割を担っています。
 分科会では、ビキニ水爆実験の追体験として、爆発当時、ビキニ環礁からロンゲラップ島へ避難させられあた島民、60㎞先で漁労中の第五福竜丸船員、米軍の監視兵よる手記を、参加者が10名ほどのグループずつにに分かれ、1、2行ずつ輪番で朗読しました。このワークショップ、事件の実相が浮かび、理解しやすかったです。感想発表では、持ち帰って小中学生に読んでもらっても、「下手」な説明より、理解が早いとの発言が続きました。

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