竹田昭彦・日誌(#09)・8月06日(日)    

早朝 広島城をウオーキング
世界大会・広島 担い手を若人へ

第37回平和マラソンの参加者
=2023/08/06、広島市・広島城
広島城のウオーキング
=2023/08/06、広島市・広島城
第39回広島・長崎反核平和マラソンの記念撮影
=2023/08/06、広島平和公園
長崎を目指して平和反核平和マラソンがスタート
=23/08/06、広島平和公園
高知県の青年一同が登壇して青年のパワーをアピール=23/08/06、広島市
 8月6日、午前は、8・6ヒロシマ平和マラソン大会参加と、広島・長崎反核平和マラソンの激励です。午後は、世界大会・広島への参加です。
 天気は、台風6号が奄美地方に近づいていますが、広島は炎天でした。
 朝6時前、第37回8・6ヒロシマ平和マラソン大会(主催8・6ヒロシマ平和マラソン・ウオーキング大会実行委員会)の会場へ行きました。スタートは7時ですが早めに着き、大会の様子を知りたかったのです。
 この大会への初参加は、1995年の東京~広島反核平和マラソン1500㎞参加の時でした。その後、何回か参加し、今回は2010年以来の13年ぶりでした。なお、2014年に会場へ行ったが豪雨で中止でした。
 参照 takeda-a.net/1500km.html
     takeda-a.net/10-8-06.html
     takeda-a.net/08-8-06.html
     takeda-a.net/06-8-06.html
 2008年から、広島市の小・中学生が登校日となり、参加者が少なくなりました。その後、ウオーキングの種目を設けるなど、工夫していますが増えず、今年の参加者は20余名でした。
 来年は「世界大会参加のしおり」の関連行事に復活掲載してもらい、参加者を広げたいと考えています。
 私は、ウオーキング(1.6㎞)に参加した後、平和公園へ歩いて行き、「第39回広島・長崎反核平和マラソン」の出発式に参加しました。
 8時15分、原爆の爆発時間に合わせて鐘が鳴り、全員で黙祷しました。
 そして、ランナーたちが長崎へ向かってスタートしました。
 私も、2004年に長崎→広島の通し行進をした後、そのマラソンに参加した体験がありますが、加齢と共にエネルギー落ち、見送るばかりでした。
 参照 takeda-a.net/04-8-04.html
 参照 takeda-a.net/04-8-06.html
 
 午後1時、世界大会-広島〈ヒロシマデー集会〉に参加しました。
 この集会のポイントは、被爆の実相を伝え・継承すること、核兵器廃絶運動を若い世代に引き継ぐことにあったと思います。
 プログラムの "被爆者の声を世界に" で発言したサーロー節子さんは、結びで「核の被害者が掲げてきた非核による平和というトーチを受け継いでくれる、より若く、強い手が必要です」と話されました。原爆投下による、世界で唯一の被害者である広島・長崎の被爆者が、その実相を世界に話してきたことが、核兵器禁止条約の実現に根本的な役割を果たしたと思います。
 プログラムの後段では、高知県から参加した若人16名が登壇し、活動の取り組みや抱負を述べました。核兵器廃絶運動の若い担い手が現れ、大きな拍手をおくりました。
 夕刻、広島駅から帰宅へ向かいました。

8・6ヒロシマ平和マラソン・ウオーキング大会要

 
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