竹田昭彦・日誌(#03)・8月17日(水)  

 
記憶と連帯のための平和マラソン
 
 
ナヌムの家~日本大使館50㌔

 

 
風船を飛ばして平和マラソンがスタート
=20116/8/17、広州市・ナヌムの家
 
 
キム・ジョングさん(右)と11区を走る筆者
=2016/8/17、ソウル市(韓国体育市民連帯提供)
 
 
日本大使館前の「水曜集会」で連帯の挨拶をする訪朝団の山本和道副団長
=2016/8/17、ソウル市・日本大使館裏
 
 
(右から)平和の少女像、筆者、キム・ジョングさん
=2016/8/17、ソウル市・日本大使館裏
 
 
歓迎夕食会でキム・ドクチンさん(右)から記念品を受ける筆者=2016/8/174、ソウル市  
 
 早朝の5時10分、宿をマイクロバスで出発して、ナヌムの家へ向かいました。
 6時、ナヌムの家で出発式が開かれ、反戦平和を誓う黄色い風船を飛ばしました。
 6時30分、「記憶と連帯のための平和マラソン」のスタートです。
 コースは、ナヌムの家からソウルの日本大使館迄で、公道を50㎞走ります。直線的には30㎞です。
 50㎞を11区間に別けて、各区間を複数人で走り、連隊旗をリレーします。
 同じ人が2区間を続けて走らず、走力の似たランナーがチームをつくってリレーします。
 ゴールの時間は、正午前後なので、1㎞を5分から8分のペースで走ります。
 最後の区間は、途中からの新規参加者を含め、全員で走りましす。
 走っている途中の8時ころから、パトカーが付き、ランナーの安全誘導や、狭い道路の危険な部分を、車で移動させる指示がありました。
 9時過ぎ、7区中継所の城南市役所で、キム・ジョングさんに会いました。彼は、私がプレゼントした平和行進用の特製Tシャッツ(核兵器廃絶の文字入り)を着ており、とても似合い、素敵でした。
 城南市役所には、平和の少女像がありました。ソウルの日本大使館前にある像と同じです。地方自治体の敷地にも、平和の少女像があり、驚きました。
 今年の2月に訪問した、ソウルの「韓国挺身隊問題対策協議会」では、平和の少女像が韓国全土で30基あると聞きました。
 参照 www.takeda-a.net/a-korea16-02-22
 昨日訪問した、ナヌムの家の日本軍「慰安婦」歴史館見学では、その像が31基となり、地域名と地図が掲示してありました。
 その他、米国のカリフォルニア州のグレンデールと、ミシガン州のサウスフィールドにも建立された、掲示がありました。
 平和の少女像は、海外にも広がっているようです。
 日本で建立した話しを、私は聞いたことがありませんが、日韓両国民の真の友好と交流を発展させるためにも、日本に何らかの像があってもよいのでは、と感じました。建立したいものです。
 10時過ぎ、8区の後方を走りながら、沿道の人に手を振ると、関心を示して手が振られ、嬉しくなりましたました。
 足の遅い私の出番は、ほとんどなく、最後の11区の前半と後半をキムさんと一緒に走りました。
 12時30分過ぎ、全員が無事に日本大使館へゴールしました。
 大使館裏側道路の平和の少女像がある歩道では、既に「水曜集会」が開かれていました。学生たちは夏休みで、大勢集まっていました。
 平和マラソンに参加した日本のランナーを代表して、山本和道副団長が連帯の挨拶をしました。集会参加者からは、歓声と大きな拍手が湧きました。
 そして、山本さんは、参加していた被害者と握手しました。
 感激した私は、被害者が車に乗って帰るとき「お元気で頑張って下さい」と、手をさしのべると、握手され「ありがとう」と日本語で応えられました。
 警備の警察官も穏やかで、腰には何も付けていませんでした。
 日本大使館の裏面は、建て替え中で、囲いの塀だけが目立ちました。
 夕刻、歓迎夕食会が開かれ、30人余の参加で盛大でした。
 日本からの参加者8人には、一人ひとりが参加賞や記念品を頂きました。それも、受け取る人にふさわし、渡す人に替えての心くばりで、嬉しかったです。
 2次会もあり、体育市民連帯の方々に、来年の平和行進へも、韓国青年の派遣をお願いしました。
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 「記憶と連帯のための平和マラソン」の記事が、新日本スポーツ連盟の月刊誌11月号で特集されました。
 表紙を、キムさんと私の写真で飾っています。

 
(写真下段)
 「記憶と連帯のたいのための平和マラソン」が新日本スポーツ連盟の月刊誌11月号で特集されて表紙をキム・ジュングさん(右)と筆者の写真で飾る

 
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