竹田昭彦・日誌(#02)・8月16日(火)  

 
ナヌムの家を訪問

 

 
南漢山城の守禦将台=2016/8/16、広州市   
 
昼食後の川原でリ・ボングさん(左)と筆者
=20116/8/16、広州市
 
 
ナヌムの家で亡くなった日本軍慰安婦被害者の追悼碑(一部)=2016/8/16、広州市・ナヌムの家  
 午前は、世界遺産に登録されている南漢山城を見学しました。
 南漢山城は、古くは百済時代(18BC~660AD)から、国防の砦でした。
 場所は、ソウルから南東に約25km離れた広州市、河南市、城南市 にまたがる山間の風光明媚な京畿道立公園の中にあります。本拠地は、広州市です。
 城壁の総延長は11.7㎞、面積が60万㎡で、城壁、建造物、遺跡などが保存されています。
 見学コースは幾つもあり、全てアップダウンの山道を歩く、ハイキングコースのようでした。
 私たちは、2時間ほどのシュートコースで、中央の案内所から南漢山城の守禦将台(しゅぎょうしょうだい)の西将台まで上り、下りました。
 守禦将台は、軍の指揮所として造られた楼閣で、5ヶ所あったが、現存は西将台だけが残っています。
 城郭の石積みは、日本の城と似ていました。周囲では、ミンミン蝉が鳴き、日本に居るようでした。
 昼食前、日本語の通訳としてリ・ボングさんが見えました。明日の夕食会迄ご一緒します。
 リ・ボングさんとは、2006年のソウル国際市民マラソンで知りあい、その後、京都木津川マラソンや、東京マラソンを一緒に走ったり、私が訪韓の時にお会いするなど、親交を深めてきました。
 午後は、広州市にあるナヌム(分かち合い)の家を訪問しました。
 ナヌムの家には、日本軍の慰安婦被害者であった韓国人女性10名(2016年5月現在)が、ボランティアの人たちと共同生活をしております。
 他に、日本軍「慰安婦」歴史館や屋外記録の場などが設営されています。正面を入った数段高い玄関前には、ナヌムの家で亡くなった被害者10名の追悼碑がありました。私たちは、白い菊の花を捧げて黙祷しました。
 私は、ここを2005年に訪問したことがありましたが、追悼碑はなかったです。
 追悼碑文には、誕生年と逝去年が刻まれ、2005年後に亡くなった方が7名でした。
 10名の誕生年は1919年から1925年で、終戦時には、16歳から26歳でした。
 韓国国内で被害申告をした238名中、生存されている方は44名(2016年5月現在)だそうです。平均年齢は90歳になりました。
 日本政府は、一日も早く、日本が起こした侵略戦争を真に反省し、安倍総理はナヌムの家を訪問して心から謝罪すべきです。
 これは、日韓両国民の真の友好と交流の発展につながる道だと思います。

 
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