今日は、呉市の行進です。
天気は、午前が曇りで、午後3時過ぎから雨降りとなりました。
台風の影響があるようです。 |
9時15分、JR呉線の仁方(にがた)駅前で出発集会が開かれ、今日の行進がスタートしました。
駅は無人駅ですが、電車が着く毎に参加者が続々と下りて来ました。 |
今日の行進コースには、沿道の各家(戸別)へ、事前(7/26〜29)に下記のセットを配布してありました。
� � 「核兵器全面禁止のアピール」署名用紙
�� 世界大会成功のための「募金」のお願い文書 (折り鶴を貼ってある)
�� 封筒 *封筒には、「行進団通過の時にお渡し下さい」、「募金のお願い文」、「差しつかえなければ氏名・住所をお書き下さい欄」、などが印刷してあります。
2000セットを、配布したそうです。 |
行進がはじまると、各戸から人が出て来られ、署名用紙や募金の入った封筒が渡されました。
ソフィアさんも「カンパ隊」に加わり、おじぎしながら「ありがとうございます」と、受け取っていました。
段々なれてくると、家から出てきた人に、小走りで行き、頂いていました。
頂いた封筒は10以上で、よい体験になったと思います。 |
午前の休憩時間に、八幡宮の階段を教室にみたてて、被爆者の体験を聞きく学習会がありました。語り部は、近所に住む宮迫豊子さん(81歳)です。
広島で中学2年生(12歳)の時に被爆しました。
毎年、平和行進が通ると、紫蘇ジュースをたくさん作って、休憩所で接待します。
学習会では、出来たばかりの冊子、「八月六日が来た 今年も、暑い夏がやって来た」が配布されました。 |
| その冊子の一部を紹介します。 |
「食べる物、着る物、勉強したくとも、紙も、ない、鉛筆もない。何にひとつ手に入らない時代だった。学徒動員で、お菓子工場に行ったり、畑仕事をしに行ったり、勉強など出来なかた。八月六日も朝早くから、スコップを持って、建物疎開の後片付ずけに行く。八時から十五分間、休んでいた時だった。強烈な光と爆音がして、夜中のように暗くなる」
「三年前長女が二人の孫をのこして、天国に行った。最後の手紙に、『五体満足に生んでくれたのに自分の、不注意で病気に負けて申し訳ない』と手紙に残す、『ありがとう』の一言も残して、いた。被爆二世で生まれたことは、一度も云わず、心が痛む」
「孫八人は、被爆三世だ。今は四世も、生まれていると思う。孫達の時代、いつまでも、平和が、続きますようにと、祈ります。」
読みながら、涙しました。 |
夜は、呉駅から1分のところにある森田食堂を貸し切り、「通し行進者と呉の仲間 交流の夕べ」がありました。
参加者は、20名ほどで満杯となり、ソフィアさん、マニシャさんも歌うなど、国際連帯が盛り上がりました。
森田食堂は、昨年、創業100周年を迎えた老舗で、呉で、最初にできた民営食堂だそうです。
それまでは、旧海軍の食料品店や宿泊施設がはじまりだそうです。
通し行進者は、恒例の森田食堂で呉の味を遠慮なく頂き、あと3日でゴールです。 |
| 今日の行進は、参加者が40〜35人前後で11.9�卻發�ました。 |