竹田昭彦日誌(#41)6月18日(月)
〈 三重から奈良へ引き継ぐ 〉
 三重県行進の最終日で、伊賀市、名張市の行進です。
 8時45分、伊賀市役所で出発集会が開かれ、市長さん、議長さんか激励の挨拶をいただきました。私の挨拶では、国連で「核兵器禁止条約」締結の展望が見えてきたと、力を入れて話しました。
 伊賀市は、俳人松尾芭蕉の出身地で、生家の前を通りました。「芭蕉は忍者だった」と言う説を、地元の人から聞きました。私は、伊賀が育んだ忍者文化、情報収集、走・歩技術、ペース配分、携帯食料、食あたり・水あたりを防ぐ知恵と能力などを、芭蕉が育つ中で、自然に身につけていたと思いました。普通の知識と決意だけでは、長旅が難しいと思います。
 1昨日の伊賀市行進で、剣客荒木俣右衛門の「鍵屋の辻の決闘」に出てくる「数馬茶屋」で休憩したとき、食べた「かたやき」煎餅は歯が折れるほど硬く、木槌で砕いて食べました。水分ゼロの保存食です。瓜の芯に具を入れた「養肝漬(ようかんづけ)」も食べたが、優れものでした。タマリ醤油で1、2年熟成した漬け物で、塩分と栄養補給に最適です。長旅で、食べ物が簡単に手に入らない、命繋ぎの携帯食と思いました。
平和遺族会の旗がなびく
 私の行進参加の推薦団体である平和遺族会(平和を願い戦争に反対する戦没者遺族の会)の支部が三重県にあり、会員が参加され、励ましをもらいました。
若い人たちが「原発ゼロ」アピール
 若い参加者たちが「原発ゼロ」をアピールして行進され、爽やかさがよかったです。
三重県(右)から奈良県(左)へ、リレー横断幕、団体リレー旗が渡る
 午後4時45分、奈良県山添村役場で三重県から奈良県への引き継ぎ集会が開かれました。
 引き継ぎの挨拶をされた、三重県行進団代表の落合郁夫さんは「三重県下、全市町村29の首長が原発再稼働反対を表明した」(三重県労連調査)と報告しました。凄い変化だと思います。
 奈良県からは、山添村窪田剛久村長さん、吉矢義彦議長さん、行進実行委委員会代表から歓迎の言葉をいただきました。
 その後、リレー横断幕、団体リレー旗を三重県から奈良県へ引き継ぎました。
     
  山添村の窪田剛久村長さん(右から3人目)と記念撮影   
   私の引き継ぎ挨拶では、三重県を無事に行進できたお礼と、奈良県をしっかり歩く決意を述べました。
 とくに、三重県が原発設置を許さなかった、闘いの輝に敬意を表しました。そして、2007年に山添村を訪問したとき、窪田村長さんから「原爆稲」を「やまぞえ小学校」で栽培していることを紹介され、学校を訪問し、平和教育の素晴らしさに大感激したことを述べました。
 私の挨拶が終わるなり、村長さんが「今も植えている」、と言われました。平和教育に「原爆稲」を栽培しているのは、日本で山添村が唯一と思います。(参照 \07-6-29.html )
 今日の行進は、6区間を区間により25〜16〜33人で12q歩きました。