竹田昭彦日誌(#39)6月16日(土)
〈 東海道から 大和街道へ入る〉
 亀山市、伊賀市の行進です。
 終日雨降りで、カッパ上下を着たままの行進でした。梅雨が明けるまで、仕方ないです。
 コースは、亀山市の東小学校を出発し、国道1号線沿いの東海道亀山宿から関宿へと進み、その後、東海道から分かれ、国道25号線沿いの大和街道に入り、伊賀市役所までです。
 ロマンチック街道を歩く気分で、撮影ポイント考え、探しました。行進隊列と名所の標識や看板を入れ、パチリと写したいのですが、難しいです。標識や看板は、行進に合わせて立っていないからです。
東海道・亀山宿を行く
 亀山宿では、宿名を刻んだ石碑を、行進が通った後に気づき、「しまった!」と思いました。かろうじて、行進の後ろ姿が写りました。
 亀山宿の軒並みには、かって商売していた商店名を木札に書き、貼ってありました。「えごまや」「よろずや」「みたにや」「おおさかや」などかかれ、何を売っていたか分かりませんが、繁盛したであろう面影がありました。
東海道・関宿で観光客から激励の拍手=地蔵院前
 関宿は、東追分から西追分の間約1.8`あります。積極的に保存され、観光のスポットになっていました。雨天のせいか、観光客はまばらでしたが、拍手で応援される人もあり、1番嬉しいときです。
 関宿の東追分は、東海道と伊勢別街道の分岐点です。西追分は、東海道と大和街道の分岐点です。
 行進は、西追分で大和街道に入りました。
大和街道・西方寺前を行く
 地元の方は、地域のことを誰よりも知っていますから、「この先に何々がある」、「上手い食べ物がある」と話されます。
 その意味が直ぐ分からず、ねほり、はほり、質問しています。
 大和街道では、県内通し行進者の辻井さんの生家の前(現在建物なし)や菩提寺「西方寺」の前を通りました。辻さんは、たへん懐かしがっていました。昨日も、マラソンクラブのメンバー宅前を通ることができ、旧家の威風を知りました。
 旧道の千本格子の宅から、平和行進の足音で、「平和行進が来た」、と出てこられ、お辞儀されますと、半世紀続けてきた重みを強く感じます。私は、「ありがとうございます!」、「がんばります!」と応えています。
 各地を行進して、よく見る石碑に、「明治天皇行幸碑」と「忠魂碑」があります。
 「明治天皇行幸碑」については、宿泊場所、昼食場所、休憩場所などに建っています。絶対天皇制の確立のため、全国各地をまわり、明治政府の権威を確立していったようです。
 平和行進は、全国津々浦々をまわり、「核兵器廃絶」を訴え、各自治体に「核兵器廃絶・平和の町宣言」塔を建て、国民の力で世界から核兵器も戦争もなくす行脚だと思っています。
 今日の行進は、7区間を区間により30〜20〜25人で9.9q歩きました。