竹田昭彦日誌(#14)5月19日(土)
〈 好天つづく 〉
 御坊市の行進です。
 宿が、昨夜から和歌山市に替わり、30日まで滞在します。ここから行進する自治体へ、和歌山県平和行進実行委員委員会の白井事務局長と、白井さんが運転する車で通い、行進が終わると戻ります。
 御坊市役所までは、高速道路を利用して約1時間かかりました。
御坊市の「核兵器廃絶平和宣言都市」の看板=市役所前
 それぞれの日に、向かった役場へ着くと、「核兵器廃絶平和宣言都市」塔など探しています。
 たいていは、公道に面した役場入り口に建ちますが、今日は簡単に見つかりませんでした。ないのかな、と思いつつ再度見直すと、役場前の駐車場の築山に、他の宣言と一緒にありました。
 全国ほとんどの自治体では、「核兵器廃絶平和宣言」をしており、塔や看板を掲げています。それを見るたび、戦争も、核兵器もない、平和を願う国民の底ぢからを感じます。そして、その地域の皆さんの運動があったからだと、嬉しくなります。
国際友好親善団体「日本中国友好協会」の旗なびく
 午前10時30分、御坊市役所で出発集会が開かれ、市長さん(代理、総務部長)と、議長さん(市議代読)から激励のメッセージをいただきました。土曜日で、市役所は休みでしたが、役場の方から激励いただき嬉しかったです。
 ここ数日、雨に降られず、今日はTシャッツでもよい好天でした。いつまで続くでしょうか。
 行進に移ると、国際親善友好団体の「日本中国友好協会」旗が目立ちました。和歌山の行進で初めてです。
 かって、原水爆禁止運動の歴史の中で、困難を伴うことがありました。『1960年代には、ソ連の「平和運動」が日本の運動に「部分核停条約」の支持を押し付け、この問題をめぐって世界大会が分裂するという不幸なできごと』(原水爆禁止運動のあゆみ=日本原水協ホームページより)があったからです。その関連で、国際親善友好団体の「日本中国友好協会」や「日ソ協会」(現ユーラシア協会)などの平和活動にも、困難をもたらしました。当時、私は「日ソ協会」の活動をしており、「部分核停条約」問題真っ最中の63年秋に1か月ほど訪ソしたことや、64年の第10回世界大会(京都・大阪)に参加したことなど思い出しました。
 今日の参加者は30余人、署名30筆、歩いた距離1.8qです。