2009年 原水爆禁止国民平和大行進
平和行進日誌
竹田昭彦日誌(#05)7月08日(水)
〈 人間魚雷 回天 〉
 今日は、柳井市、平生町、田布施町の行進と役場訪問、上関町役場訪問です。
 朝から雨降りです。4日に広島の平和公園を出発してから、初めて雨降りの行進です。
雨天を行進=柳井市
 9時半、柳井港駅前で出発集会を開き、「雨の日も、風の日も、平和行進」、とあいさつして気合いを入れ、スタートしました。
 例年、柳井港駅から柳井市役所へかけての行進は、募金が多く寄せられるそうです。5万円寄せられたこともあったと聞きました。今年は大雨で、募金活動を中止しました。
 柳井市役所へ行進団が着くと、玄関に職員の方が20人ほど出ておられ、拍手の歓迎を受けました。その場で、副市長さんから歓迎のあいさつがありました。
 話は具体的で、プラハでのオバマ演説や、衆参両院の核兵器廃絶の決議などにもふれられ、市長が平和市長会(会長:秋葉広島市長)に加盟すると言われました。市の積極的な取り組みが伝わってきました。
回天の碑=光市光井港
 日本が起こした太平洋戦争で使用した兵器に、「回天」と呼ばれる人間魚雷があります。
 「回天」とは、魚雷に1人の人間が乗り込み、海を潜って敵艦に忍びより、体当たり爆破するものです。乗り込めば、中からハッチ(出入口)を開ける仕組みが無く、必ず死ぬ人間魚雷です。航空特攻隊よりひどいです。特攻機は、不時着や天候により帰還もあり得ました。
 行進の合間をぬって、「回天」の訓練場があった平生町の阿多田と、光市の光井港を訪ねました。阿多田には「回天」の実物大(直径1m長さ14.75m)のレプリカ(映画「出口のない海」のロケで使用)と資料館があります。光井港には「回天の碑」があります。
 光井港の碑文には、「わたしたちは誓う 未来の子どもたちへ 平和の志を確かに伝えることを」と書いてありました。
 今日の行進距離は、参加者12人前後で10q歩きました。