竹田昭彦日誌(#12)5月22日(木)
〈 第1回原水爆禁止世界大会へ参加した海部郡の歴史 〉
納経帳=第23番薬王寺
 今日は海陽町、牟岐町、美波町へ行き、町役場を訪問して平和行政推進を要請し、そのご町内の行進です。
 朝の7時25分に宣伝カーで徳島市を出発し、海陽町役場へ向かう間、思ったより市街地をスムースに通り抜けたので、時間的余裕から美波町(旧日和佐町)の第23番薬王寺を訪ねました。色彩が鮮やかな多宝塔が陽に映え、美しく見えました。住職さんは不在でしたが、「非核日本宣言のよびかけ」への賛同署名をお願いしました。
 薬王寺へは、2000年に日和佐町で開催した「第4回南阿波サンライン黒潮マラソン」に参加したとき訪問し、ご朱印を頂いていました。
 今回、ご朱印をお願いしますと、納経帳の同じ頁に押印されました。お参りする毎に、押印を増すようです。八十八ヶ所を2回、3回と巡り、押印を増すお遍路さんもあるそうです。
海陽町役場訪問
 海陽町、牟岐町、美波町の役場訪問では、各町の副町長(収入役)さんと議会の議長長(副議長、又は課長)さんとお会いしました。要請の時間は、それぞれ30分から45分ほどです。「非核日本宣言」を求める意見書の要請については、各町とも、その場で具体的に対応されます。スムースなので、嬉しく思いました。議会開催が近いところでは、その場で請願書を提出するほどでした。
 今日は、要請の他、海部郡で第1回原水爆禁止世界大会(1955年)に7、8人が参加した歴史が話題になりました。元牟岐町長も、その1人だったそうです。当時は、徳島から松山へ行き、漁船で瀬戸内海を渡って広島へ着き、漁船で寝泊りしたようです。お米を持参し、船で炊いていたそうです。
 もっと詳しいく知りたかったですが、当時の方とお会いすることができず、残念でした。
牟岐町を平和行進
 今日の参加者は10人前後で、海陽町を1.5q、牟岐町を1q、美波町を2q歩きました。
海陽町及び牟岐町の町長さんと議長さんからは、募金とペナントを頂きました。美波町では、町長さんと議長さんからペナントを頂きました。
 各役場には、すみやか著名と原爆症認定制度の抜本改定署名の更なる取り組みをお願いしました。そいて、快諾を頂きました。