竹田昭彦日誌(11)6月28日(火)

〈鹿児島県は全自治体が非核平和宣言都市〉

 朝の8時30分、奄美大島から鹿児島新港へ船が着くと、急いでタクシーに乗り換え、鹿児島市役所に行きました。
 9時からはじまる出発集会に間にあい、ホッとしました。
 今日が、九州本土でスタートする第1歩です。メディアの取材もあり、3社のテレビカメラが回り、これまでの出発集会と違った雰囲気です。
 集会では、鹿児島県原水協杉野事務局長から、県庁を含む県下の自治体が、全て非核平和都市宣言をした、との報告がありました。しばらくぶりに対県要請も実を結び、賛助金が寄せられたそうです。一般的には、自治体が「財政難」を理由に賛助金を控える傾向にある中、鹿児島の状況の変化を知りました。
炎天下の鹿児島市内を行く元気な平和行進団

 集会参加者は100名あり、炎天下の繁華街へ出発しました。
 昼食・休憩時に借りた室内で、交流会がありました。そこで、私が15年前に出版したマラソンの著書を待った人が現れ、私を紹介されました。鹿児島でなぜ、とビックリしました。今朝の一般紙記者の取材でも、私がマラソンを走っていることを知っており、不思議に思っていました。その方が根回しされていたのです。民医連のお医者さんです。マラソンを3時間切って走った経歴もある、平和活動に熱心な市民ランナーのエリートです。
 夜には、そのお医者さんが勤務する病院の方々を中心に、通し行進者歓迎夕食会が開かれました。30名もの出席者で、これまたビックリしました。そこでは、今日の行進に参加した人も、参加できなかった人も、原水爆禁止運動への熱い思いが語られました。また、ご年輩の方から、幼女時代に戦争を朝鮮で体験し、親や祖母や兄弟が、次々に他界されゆく悲惨な体験談も聞きました。それを聞いて若い女性は、「自分の身に置き換えて聞きました」と感想を述べていました。とても素敵な集いでした。私は、「マラソンで鍛えた足を平和の足に」、明日もがんばりますと応えました。
 毎日の天気が気になります。これ迄で、今日が一番暑く感じました。炎天下で信号が多く、信号毎に隊列が分断され、分断された隊列を日陰のない車道で待つから、いっそう暑く感じました。
 今日の行進参加者は終始80名〜70名あり、コースは鹿児島市役所から鹿児島中央駅に至る市街地で、歩いた距離は11.5kmでした。