2017年 ウズベキスタンを行く (6)
シルクロード “奈良・ローマ2万km”
《 サマルカンド 編 》
グル・エミール廟のドーム=2017/10/11
レギスタン広場で記念撮影=2017/10/11
市民市場「シヨブ・バザール」でナンを買うガイドさん(左)
=2017/10/11
サムサを焼く竃(左)と焼いてところ=2017/10/11
サムサ(左)と付けタレ=2017/10/11
シャーヒージンダ廟群のモザイク=2017/10/11 シャーヒージンダ廟群のマンホールの蓋=2017/10/11
ウルグベク天文台の四分儀図面(左)と保存された地下部分(奥の窓が地上)=2017/10/11
サマルカンドの花屋=2017/10/11
ガイドさん娘とガイドさんのお母さん=2017/10/11
ガイドさん宅で世界遺産のプロフを頂く筆者(右)
=2017/10/11
ガイドさん宅のサムサ(中央)と綿花をデザインした食器
=2017/10/11
 10月11日(水)
 今日は、サマルカンドの見学です。

 9時、ホテルを出ました。
 最初に見学したグル・エミール廟のドームは、波形が朝日に輝き、まぶしく見えました。
 サマルカンドは「青の都」と絶賛されました。本当だと思いました。
 グル・エミール廟には、チムール王朝の建国者アミール・チムールをはじめ、王朝の支配者たちが眠っています。
 廟を後に、レギスタン通りを北東へ800mほど歩くと、レギスタン広場です。
 ここには、コの字型に三つのメドレセが建っています。コの字広場の入口に、一段高い見せ場がありました。そこから見ると、圧巻される景観です。
 さっそく、サマルカンド訪問の記念写真を撮りました。
 メドレッセは、イスラムの教義だけではなく、数学、哲学、天文学など教える、総合大学だったようです。運営費や学生の奨学金は、キャラバンサライの収入でした。
 建造物は、短期間に建てられたわけではなく、戦乱や支配者の思惑で破壊されながら、復興を続けてきた賜です。
 ここでは、緻密なモザイク装飾、建造物の配置など、素晴らしさが少し分かってきました。
 レギスタン広場は、サマルカンドの文化交差路と呼ばれています。

 その後、広場から、商店街のタシケント通りを北東へ800mほど進むと、市民市場のシヨブ・バザールに着きました。
 ここで、ガイドさんお薦めの、サマルカンドのナンを2個買いました。ガイドさんは、日本に出張滞在していることから、6個買いました。同胞に分けるそうです。
 8等分に切ってラップで摘み、タッパに入れて冷蔵庫で保存すると、長期間もつそうです。ナンを先に切るのは、冷蔵したのを切ると、身がこぼれるからです。
 一食 、一切れで充分です。電子レンジでチンすると、焼きたてと変わらないそうです。
 サマルカンドのナンは、もちもち感と長期保存が特徴です。この味は「他では作れない」と評判です。風土が育む味なのでしょう。

 午後1時過ぎ、遅い昼食になりました。
 食堂は、ツアーの要望に応え、サムサの専門店でした。サムサとは、日本でいうなら、大型の焼き餃子のようなものです。
 焼いている竃を見せてもらいました。1回で、300個ほど焼きます。熱い竃に張り付けるのを見たかったのですが、終わっていました。
 食べ方は、そのままか、タレを付けます。タレは、トマトベースの甘いものでした。
 サムサは、日本人の食感に合い、美味しく頂きました。評判のようで、満席でした。
 店舗の場所は、市街地から離れ、地元の人でないと分からない路地です。

 午後3時過ぎ、シャーヒージンダ廟群と、その1㎞先にあるウルグベク天文台跡を見学しました。
 場所は、買い出しに寄った市民市場の直ぐ北東です。サマルカンドの名所は、北東に連なっております。初訪問でも分かりやしく、移動時間がかかりません。
 シャーヒージンダ廟群はアブラシャブ丘と呼ばれる高台の南麓です。11世紀から16世紀にかけて建造され、廟やモスクが直線的に並んでいます。装飾はモザイクが主です。
 ブハラで9日に見た、10世紀の装飾(イスマイール・サーマーニ廟)より、進化がよく分かりました。
 他に興味をもったのは、石畳通りの雨水溝用のマンホール(集水升)の蓋です。大理石を使っていました。雨量が少ないからでしょう、吸い込み穴が小さいです。雨量の多い日本では、格子状の鋳物が普通です。
 アブラシャブの丘は、元々サマルカンドの中心街でしたが、13世紀にモンゴルのチンギス・ハーンの攻撃で破壊されました。市民の大半が虐殺されたといわれます。
 その後、チムール王朝がサマルカンドの復興に励み、シャーヒージンダ廟群は、街を一望する聖地となりました。

 次に見学したウルグベク天文台跡は、廟群と別のシチュパン・アタ丘にあります。
 天文台は、アミール・チムールの孫で、チムール王朝第4代君主の「ウルグ・ベク(1394~1449)」が、1420年代に建造しました。
 そこには、半径40.2m、弧長63mの四分儀(円の4分の1=90度)が据えられ、天体を観測していました。
 1年の日数を割り出し、現在の365日5時間48分余秒に対して、プラス1分未満の精度でした。
 天文台は、ウルグ・ベクの指揮する科学の進歩よりも、イスラム教の世界観を絶対視する聖職者から嫌われ、ウルグ・ベクを殺して天文台を破壊しました。
 現在残っているのは、1908年に発見され、その後に発掘した基礎の部分と、四分儀の下部の35度(高さ11m)です。
 四分儀の下部は、地下を開削して取り付けた構造で、破壊をまぬがれたのです。
 その地下部分だけ見ても、偉大さに驚きました。当時、世界最大だったといわれます。

 午後6時、夕食は、ガイドさん宅に招待されました。
 訪問前に花屋さんへ寄ると、花束で売るようになっていました。システムを知らない地で、買うのに便利でした。
 ガイドさんの家族は、お母さん、ガイドさん夫妻と娘、弟夫妻と息子の7人家族でした。お父さんは、若くして他界したそうです。
 庭には、ブドウやリンゴ、野菜などを栽培していました。手入れは、専門家に頼んでいるそうです。その地域を航空写真地図で見ると、畑付きが普通のようです。
 ガイドさん兄弟は、昨年一緒に結婚式をしました。子どもは、兄は女の子で、弟は男の子です。共に生後3か月でした。
 お婆ちゃんは、孫が可愛くて仕方がない様子でした(写真上から9段目)
 ウズベキシタンでは、家をつぐのは末っ子だそうです。「何故ですか」と聞きますと、最後の子で可愛いからとのことでした。
 結婚は、見合いが普通だそうです。弟さんの結婚相手が先行し、それにお兄さんが合わせたとのことでした。
 家族総出で作られた、サムサやプロフ(ピラフ)を頂きました。プロフは、お代わりしました。

 ウズベキシタンのプロフは、昨年の12月にユネスコの無形文化遺産に登録されました。観光案内書によると、地域によって具や味が違い、13州が、それぞれの盛りつけと呼称で紹介してありました。
 日本でのピラフは、フライパンなどで「炒めたもの」、と思い込んでいましたが、本来は炊き込みご飯だそうです。
 基本的な作り方は、釜の一番下に牛肉を入れ、上に黄色ニンジン、その他の具を入れ、米を重ねて味付け汁で炊きます。黄色ニンジンを使うのは、煮崩れしないからだそうです。
 プロフの他、ウズベキシタンでユネスコ登録遺産は、これまで見学したヴァのイチャン・カラ、シャフリサブス歴史地区、ブハラ歴史地区、サマルカンド文化交差路と、西天山(カザフスタン、キルギスと共有)があります。
 時計を見ると、2時間30分の滞在でした。
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