シンガポールマラソン

第15回 シンガポールマラソンを走る

竹田 昭彦
スタート前、ペースメーカーとパチリ(右から3人目)筆者
=2016/12/04、シンガポール・オーチャード通り
10㎞を過ぎた7時4分、シンガポール海峡の日の出をバックにシンガポールのフウ(Hoo)さん(右)とパチリ=2016/12/04
特殊な冷風機(右側)で蒸し暑さをしのぐランナーたち
=2016/12/04、30㎞過ぎ
ゴールする筆=2016/12/04、シティホール前
ジョホール海峡の橋からシンガポールを見る
=2016/12/05
 2016年12月4日(日)、「第15回シンガポールマラソン大会」を走りました。
 シンガポールは、これから雨期が始まるそうですが、日本の梅雨より蒸し暑く感じました。
 蒸し暑いため、スタートは夜明け前の4時30分です。気温が上昇しない内に走り、昼前に終わる計らいです。
 スタート場所は、シンガポールの銀座通りのオーチャード・ロードです。クリスマスの飾りが延々と輝いていました。シンガポール人の多くは、華僑と言われ、仏教徒が多いはずですが、なぜか、クリスマスの飾りで賑わっていました。
 参加者(出走者)は、フルが8,879人、ハーフが9,552人、合計18,431人でした(大会ホームページの記録表より)。
 参加者が多いため、ウエーブスタートと呼ばれる時差スタートです。ゴールの目標タイムの申告順に、早い方から6グループに別け、0分から15分の間隔で時差スタートします。
 私は最後の6番目のグループで、スタートラインを通過したのは、5時25分過ぎでした。
 走り出すと、直ぐに汗が出ました。周りの地元のランナーも、汗が出ていました。私だけだけが、早くから汗をかいた訳ではないと分かり、安心しました。高温多湿は、シンガポール人にも厳しいようです。
 給水テーブルは、2.5㎞毎にありましたが、7.5㎞、10㎞地点は、既に水が無くなっていました。次の12.5㎞は、若干残っていたようで、取り合いで、異様な雰囲気でした。
 足の遅いランナーには、厳しいです。私は、そのことも予想して、ペットボトルを持参していました。
 8㎞ころから、日本語を少し話す地元の年配のランナーのフウ(Hoo)に声をかけられ、前後して走りました。年齢を聞かれたで、私は76歳と答えると、彼は72歳とのことでした。彼の方が歳上だと思っていたそうで、ビックリしていました。
 10キロ過ぎの海岸線に出たところで、夜明けを迎え、シンガポール海峡の水平線からのぼる御来光をバックに、彼と写真を撮りました。彼は、ハーフのコースだったので、その後、別れましたが、よい記念になりました。
 ちなみに、70歳を越えた男子のランナーは、フルが20人、ハーフが18人でした。
 夜が明けてからは、海岸線を直線で見ると約9㎞走り、チャンギー空港の手前で折り返し、その海岸線を戻りました。
 その間、沖には貨物船がアンカーを下ろし、ところ狭しと並んでいました。凄いと思い、5、600隻位かなと数えると、そんな数ではなく、千隻単位の様でした。シンガポールの貿易扱い量の膨大さを、垣間見た気がしました。
 後で、世界の貿易量の65%は、南シナ海~マラッカ海峡を通ると分かりました。その最大の国際貿易港湾都市がシンガポールで、大いに納得しました。
 30㎞手前から、曇りから晴れに変わり、直射日光になりました。シンガポールは、ほぼ
赤道に位置します。陽よけの帽子は、蒸れて熱くなり脱ぎました。スコールがくれば、と期待しましたが、1度もありませんでした。
 空港手前で折り返した後のコースに、2ヶ所で、初めて見る特殊な扇風機が、霧状の冷風を吹き出していました。所かわれば品かわると、言うことでしょうか。
 これも、いっときの気休めで、冷気を持続出来ません。
 実質7時間でゴールしたいと思い、頑張ろうとしたが、熱中症の危険があると判断し、ウオークに切り替えました。持参の塩も、飛行機の食事で貰った一袋だけでしたから、安全策をとったのです。ペースは、1㎞当たり1分遅くなりましたが、周囲のランナーも皆歩いているので、一人旅より気が楽でした。
 (後で分かったことですが、フルのランナーの1人が亡くなりました)
 私のゴールのオフィシャルタイムは、8時間08分23秒で、完走者8,029人中の7,012位でした。ネットタイムは、7時間13分00秒です。
 マラソンの翌日(5日)、マレーシアに渡りジョホールバールを観光しました。
 シンガポールとマレーシアの間には、ジョホール海峡(水道)があり、国境線になっています。海峡(長さ48㎞)の中間部に橋(約1㎞)が架かり、車道や鉄道が通っています。そこを、乗り合いの観光バスで通りました。
 驚いたのは、マレーシアから、シンガポールへ働きに来ている人の出入国が多いことでした。青色に塗られた通勤専用バスが有り、シンガポールの働き場所へ直行するそうです。バイクの人もいました。三交代勤務の時間帯が一番混むそうです。おそらく、毎日、万単位の働く人の移動でしょう。通勤者は、簡易な出入国の手続きで済むそうです。賃金は、マレーシアの3倍です。マレーシアの物価は、シンガポールの3分の1だそうです。マレーシアに住み、シンガポールで働く構図です。その人たちを、シンガポール政府が受け入れているのは、経済力の豊かさだと知りました。
 1990年に、シンガポールマラソンを走ったことがありましたが、現在の大会とは別で、途中で、そのマラソン大会そのものが中止に
なりました。26年ぶりに行ってみると、マーライオンの子どもの像が建立されるなど、巨大ビルとマンションがどんどん建ち、大きく様変わりしていました。
http://www.marathonsingapore.com/
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