竹田昭彦・日誌(#49)・8月30日(金)    
2019かながわ平和行進
13日間の記録・出版

2019年国民平和行進神奈川実行委員会・出版
全国の自治体、団体、個人等から託されたペナントが世界大会の会場を飾る
=2019/08/09、長崎市・市民会館体育館
 通し行進者感想 (竹田昭彦記載より)

 私は「医療生協かながわ生活協同組合」の推薦で県内通し行進13日間に参加しました。
 昨年は、東京・夢の島出発(5月6日)の行進参加後、自宅で尻餅をつき痛みがひどく、県内通し行進を断念しました。今年は、体調を整えつつ無事に歩くことが出来ました。
 今年の神奈川県の行進では、「楽しくだれでも参加したくなる平和行進のための申し合わせ」をしました。
 一つは、「シュプレヒコールはおこなわないこととします。市民に共感の得られるアピール方法に改善します」でした。命令調で後尾のかん高いシュプレヒコールは、騒音に感じられ、子どもに恐怖感を与え、共感を得られないからです。今回は、従来のピースコールの原稿にあった語尾の文字も、命令調の「○○を守れ」から、「○○を守ろう」に変わり、感嘆詞マーク(!)もなくなりました。そして、各コースの出発集会などでは、リハーサルが行われました。アナウンサーが不慣れな場合は、役員がリズム(ラップ調)などの打合せもしました。
 この改善は、2013年の平和行進中央実行委員会総会(2月)の62年総括で「シュプレヒコールの見直し」が提起され、東京夢の島行進(5月)でピースコール(案)が発表されました。その後6年、全国に普及しつつありますが、県全体で熱心に取り組んでいる神奈川は、凄いと思いました。
 二つは、「自作のプラカード・横断幕・手作りうちわ・・・など奨励します」です。そして、アピールコンテストの実施でした。
 コンテストは、従来、表彰に賞品(菓子)しか出ませんでしたが、今年は表彰状が授与されました。表彰された方達は、飛び上がる様に喜ばれました。菓子は、食べれば形が残らず、表彰状は残って励みになります。良いアイデアでした。来年の弾みになったと思います。
 次に、各地のコースを歩いて感じたことです。伊勢原市では、行進出発前に、文化行事を行っていました。室内で「平和のつどい・歌と詩と絵の発表」が開かれ、絵、詩、川柳、写真などを展示し、朗読や説明がありました。文化行事で平和を訴える趣旨です。花の写真には、「平和でこそ花は咲く」と説明文があり、印象に残りました。戦時中には、花作りが禁止された歴史があるからです。
 秦野市では、市の平和行政との連携が強いと感じました。屋外の出発式に、市が演台を用意しており、驚きました。庁舎前には、「平和の灯」が建立され燃えていました。
 その他、広島の被爆アオギリ、長崎の被爆クスノキの植樹も見ました。
 被爆アオギリは、県の施設あーすぷらざ(地球市民かながわプラザ=横浜市栄区)と、三浦市役所で見ました。あーすぷらざの植樹には、妨害が執拗にあったそうです。
 清川村は、両樹を植えてありました。鹿に食べられないよう厳重に網で囲ってありました。
 県内通し行進者達は、行進中に、被爆者国際署名のチラシを配布しています。
 渡すときに話しかけ、会話になることが多いです。共感と反感、市民の感情を知るよい機会でした。バスの停留所で待っている人達は、行進通過による車の渋滞から、バスの遅れが気になり、受け取らない人が多いです。「主旨は分かるが、渋滞になるのでやめて」、といわれたこともありました。車に乗っている人も、渋滞がたいへん気になると思います。
 行進の様子を見ている人や、家や店舗から見に出て来る人達は、ほとんど受け取ります。ご苦労さまといわれて話になり、行進の主旨が深まりました。
 平和行進は、車社会になる前か歩いて61年、市民の共感で支えられてきました。知恵と工夫をこらし、発展させましょう。

 
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