竹田昭彦・日誌(#01)・5月04日(月)  

礼文島着
被爆60年に植樹

 
西本あつしさんの眠る養壽寺
=2015/3/29、伊勢崎市・国定
西本あつしさんの墓前で平和行進の無事を願う筆者=2015/3/29
 今日は、北海道の礼文島入りです。
 「北海道→東京」コースの出発は6日ですが、荒天でカーフェリー欠航もあるので、2日前に着くようにしました。
 天気は、横浜も稚内も曇りでしたが、稚内から礼文島へ向かう海上で雨が降りました。気温は、羽田空港を出るときは20度でしたが、昼過ぎ稚内空港に着くと8度でした。
 一緒に礼文島入りしたのは、稚内港で合流した嶋田千津子北海道原水協事務局長と「北海道→東京」コース(太平洋)の五十嵐成臣(シゲオミ)さんです。
 今年は、被爆70年です。
 3月29日、平和行進の提唱者で第1回目の行進(広島→東京、1958年)を実行した亡き西本敦さんの墓参をしました。墓地は、群馬県伊勢崎市・国定の養壽寺で、JR両毛線国定駅から約1kmです。墓地には、西本敦さんの墓石に並んで、妻の多美子さんの墓石もあります。
 参加者は、安井正和日本原水協事務局長、今年の通し行進者の五十嵐成臣さん、山口逸郎さん、山内金久さん、筆者の4人と、被爆70年 国民平和大行進ドキュメンタリーDVD「一歩でも二歩でも」製作の脚本・監督の有原誠治さん、地元の古沢孝一群馬県原水協事務局長と伊勢崎市の平和行進実行委員の女性3人、計10人です。
 墓前で挨拶した安井さんは、「第1回行進で東京に着いた西本さんは『ここで行進が終わりでなく、ここから始まる』と言いました。そのご、平和行進を57年続けてきました。今年は、数百万人の著名を持ってNPT(核不拡散条約)再検討会議へ行きます。そして、世界が核兵器廃絶の条約締結に向かって合意する大きな転機を迎えています」と話しました。
 墓参者は、赤いバラを献花しました。私は、平和行進の無事と一日もはやい核兵器廃絶の達成を誓いました。
 養壽寺は、博徒の国定忠治の墓があり有名です。養壽寺の道案内にも、そのことが書いてありました。国定忠治の古い墓石は、ギャンブル好きの縁を担ぐ人に削り盗られ、丸くなっていました。隣に立て直した墓石には、削り盗られないよう鉄柵がありました。
 
参照 http://www.takeda-a.net/10-7-17.html
 歴史の長いスパンでみれば、西本さんの眠る墓の方が、養壽寺の知名度を高くするだろうと思いました。西本夫妻のお墓が養壽寺にあるのは、妻の多美子さんの実家の菩提寺だからと思い込んでいたが、今回地元の人に聞くと、西本夫妻が門前近くに住んでいたことがあり、その縁だそうです。