竹田昭彦日誌(#31)6月08日(金)
〈 和歌山から 三重へ引き継ぐ 〉
 和歌山県から三重県へ引き継ぐ日です。
 7時30分、新宮市の宿を白井さんと車で出て、和教組東牟婁支部の宣伝カーに乗り換え、熊野川を渡り三重県の紀宝町役場に向かいました。熊野川が,県境です。昨年の台風12号による豪雨被害で、川の水位が異常に上がり、被害の様子を運転する書記さんから伺いました。河口の古い橋は、沈下橋になったそうです。
リレー横断幕を三重県へ引き継ぐ(左から2人目)落合郁夫三重県行進実行委員会代表(3人目)白井春樹和歌山県行進実行委員会事務局長=紀宝町役場
 8時30分、紀宝町役場前で引き継ぎ集会が開かれ、「和歌山→広島コース」のリレー横断幕が和歌山県から三重県へ引き継がれました。
 引き継ぎ式では、白井和歌山県行進実行委員会事務局長が「第五福竜丸建造の地の和歌山の行進が無事終わり三重県に引き継ぐ」と報告があり、リレー横断幕が三重県へ渡りました。紀宝町の町長さんから歓迎と激励の挨拶をいただき、落合郁夫三重県実行委員会代表、竹田、辻井良和さんと鈴木祥夫さんの両三重県内通し行進者が挨拶をしました。
 私は、和歌山県の行進が無事できたお礼と、三重県を歩き広島へ向かう決意を述べました。
 役場の職員20余人の出迎えを頂き、総勢80人参加の盛大な引き継ぎでした。 
「第三福龍丸エンジン引き揚げの地」石碑(左端)辻井良和三重県内通し行進者(右端)鈴木祥夫三重県内通し行進者
 紀宝町の行進から御浜町の行進に移ると、第五福竜丸のエンジンが御浜町で引き揚げられたことを思いだし、地元の人に「記念碑があるでしょうか」と聞きますと、役場にあることが分かりました。役場に着くなり、早速見ました。
 記念石碑と碑文があり、「1996年11月20日 御浜町役場下の熊野灘沖約50b、水深10b海底でエンジンを発見。1996年12月2日 エンジンを揚げ」と刻まれてありました。
 感激と、今回の行進が「第五福竜丸」の遍歴をたどる機会に恵まれ、わくわく感が高まりました。 
     
  中電の原発設置を断った熊野市磯崎の「井内浦」を見学   
    三重県民が断った原発の一つだった場所、熊野市磯崎の「井内浦(うちうら)」を見学しました。紀勢本線の大泊駅と波田須駅の間の海岸で、Uの字の形をした入り江です。ここに原発を造り、海水を使った冷却水を、岬にトンネルを掘って外海に流す計画だったようです。冷却水に利用する入り江の海水温を上げないためです。
 地元の人に、ロケーションの説明を聞くと、原発設置に適した地形だと思いました。よく見つけるものです。
 「井内浦」周辺は、ダイビングのスポットで、今は「井内浦農村公園」になっていました。
 原発設置についても、和歌山県と三重県の海岸線が狙われ、それを阻止した軌跡をたどる行進にも、なりそうです。
 今日の行進は、行進、募金活動、車での移動、自治体訪問、地域が変わった場所での引き継ぎなど、分刻みの進行で経過を正確に掌握できませんでした。
 訪問した自治体は、紀宝町、御浜町、熊野市で、首長さん、議長さん、職員労働組合などから、激励とペナントや賛助金をいただきました。沿道募金は5ヵ所で合計47,882円いただきました。
 歩いた延べ距離は集計を先送りします。