竹田昭彦日誌(#87)8月03日(水)
〈 被爆者が避難した道を歩く 〉
 今日は、広島県の坂町、広島市安芸区、海田町、府中町の役所訪問と行進です。
 朝9時過ぎ、広島駅から呉線に乗り、五つ目の坂駅で下車し、坂町役場へ行きました。
 9時半、役場に着くと出発式がはじまり、町の職員が大勢参加され、厳粛な雰囲気でした。行進団は、約50人です。
 66年前(1945年)の8月6日、広島で被爆した人達が、助けを求めて呉線沿を府中町、海田町、坂町方面へ歩きました。途中で息絶え、亡くなった人が多くありました。
 今日の行進は、その道を、坂町から広島平和公園へ向かって歩きます。
坂町の原爆犠牲者追悼碑
 10時、行進が坂町役場からスタートし、1qほど歩いたところに原爆犠牲者追悼碑がありました。
 碑は、町民の募金と町の援助で、被爆50周年(1995年)に建立されました。
 行進者一同、犠牲者の冥福を祈り、核兵器の廃絶を誓い黙祷を捧げました。
 被爆した人達が、助けを求める途中で倒れたり、学校や寺院などに収容され、まともな治療もなく息絶え、沿道で火葬された場所が無数にあります。その人名も、正確な人数も、いまだ不明です。
 今日の行進の終わりは、府中町の役場前に建立(1985年)された原爆慰霊碑前でした。ここも、火葬された河原でした。
歌を歌いながら行進する酒徳溢子さん=府中町
 坂町役場で、「東京→広島」コースを20年来、毎年歩き続けている、大阪市の酒徳溢子さん(65歳)にお会いしました。
 これまで、何回かお会いした方です。昨夜、大阪を夜行バスで出発し、今朝、広島へ着いた言います。
 今年の参加は、5月6日の東京・夢の島からで、その後、飛びとびに歩かれ、延べ30日目になるそうです。
 溢子さんは、「人と人との出会いが楽しみ」と話され、友人3人と「平和4姉妹(ししまい)」と自称するグループを結成しています。ヤリクリして、「4人そろったときが最高の幸せ」と笑みがこぼれました。
 行進参加の原点は、母が戦争の悲惨さの体験から、「子どもに苦労させたくない」と、口癖のように言っていたことから、平和運動に思いたったと聞きました。
 今日は、50人前後で12.9q歩きました。