竹田昭彦日誌(#37)6月11日(土)
〈 青森から 岩手へ引継 〉
 今日は、青森県から岩手県へ引き継ぎます。
 青森県側は五戸町、新郷村、三戸町の行進です。岩手側は二戸市の行進と集会です。
 朝9時、宿の「三八教育会館」を車で出て五戸町へ向かう。
 青森県の南部地域は、戸(へ)のつく自治体名が多いです。聞きますと、平安時代に馬を育てた牧場のエリア名のようです。
 一戸から九戸(四戸は無い)まであり、岩手県の一戸町、から時計回りに二戸市、青森県の三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、八戸市を通り、岩手県の九戸村までです。この地域は、軍馬の産地でもありました。
 戦時中、大陸へ渡った軍馬は50万頭とも言われ、日本へ戻った軍馬は1頭もいなかったそうです。そもそも戦争で死んだ軍人240万人の遺骨は、半分しか戻っていないのですから・・・ 戦争は、馬にとっても無残です。
青森県(左側)から岩手県(右側)へ引き継ぎ集会=岩手県二戸市・金田一温泉駅前
 午後2時、岩手県二戸市に入った金田一温泉駅前で、青森県から岩手県へ引き継ぎ集会が開かれました。
 金田一温泉駅は、県境から岩手県へ3qほど入った場所です。青森の行進団は、岩手県に入った途中から行進して向かいました。先に、駅へ車を置きに行った人から、「50人くらい集まっている」との情報が伝わります。どの県も、引き継ぎ集会を盛り上げたい、との思いがあるからです。
 無事、リレー横断幕が岩手へつながり、青森県の皆さまに感謝致します。 
引継集会で米海軍原子力空母(ジョージ・ワシントン)の横須賀港母港反対を訴える米山幸子さん。
 引き継ぎ集会で、神奈川県横須賀市在住の米山幸子さんとお会いしました。
 2008年に「東京→広島コース」を通し行進した方です。そのとき、私は「四国→広島コース」で、岡山から広島へご一緒しました。今回は神奈川県代表として、被災地の救援と復興の力にと参加されました。岩手県を9日間歩きます。大きな励みです。
被災をのりこえ、普代村、久慈市、軽米町を行進して来た久慈地区の人たち=岩手県二戸市・国道4号線
 二戸市の行進途中では、震災のあった久慈地域を通って来た「網の目コース」が、合流しました。
 行進終了後の「二戸地区歓迎集会」で報告を聞きましと、実施が危ぶまれたそうですが、被災をのりこえ、普代(ふだい)村から20人でスタートし、久慈市、軽米町を通って二戸市へとつないだのです。ただし、普代村の次の野田村は、被害がひどく行進できなかったそうです。横断幕には「2011年」と書かれてあり、新調した決断が伝わってきました。 
     
   東京からやってきた青年たちに囲まれて=二戸市・石切所公民館  
   若い人たちを中心にした8人が、東京から駆けつけ二戸市を行進しました。一段と賑やかさが増しました。
 それを見た地元の若い人の感想では、8人の「都会風のパフォーマンス」に刺激されたそうで、来年は工夫したいと話していました。8人は、明日行進することになった宮古市を歩きます。
 今日の行進は、青森県側を15〜30人で3.9q、岩手県側を50人前後で4.2q歩きました。