竹田昭彦日誌(#43)6月22日(日)
“母べい”は戦争反対!
愛媛の「原爆死没者慰霊碑」=松山市・石手川緑地公園
 今日は、松山市の行進です。
 松山市を流れる石手川の左岸(石手川緑地公園)に、愛媛の「原爆死没者慰霊碑」が建立されています。その慰霊碑から、松山市の行進は出発します。
 10時からはじまった出発集会では、はじめに原爆犠牲者に黙祷を捧げました。そして、主催者代表や被爆者からの挨拶がありました。挨拶に立った松浦秀人愛媛県原爆被害者の会事務局長は、国の原爆症認定制度の一定の前進を喜ぶとともに、原爆症裁判の原告全員を原爆症と認定するよう訴えました。
 国の原爆症認定基準は、被爆した場所が、爆心地から図上で引いた短い距離で線引きすることや、原爆投下後に救援などで広島市や長崎市へ入った人の滞在日数などの厳格さ、認定疾病が限られていることなど、原爆被害の実態に見合っていません。そのため、長い間に渡って、被爆者25万人の1%にも満たない人しか原爆症と認めませんでした。
松山市を平和行進する原爆被害者の会の松浦さん(左から2人目)
 天気は、行進に移る頃から小雨が降りました。私は、気温が高いので濡れてもよいと判断し、カッパを着ず出発しました。二つのテレビ局から取材があり、さかんにカメラを回していました。今日の行進を注目していたようです。平和行進を大いにアピールしようと思い、並んで行進していた松浦さんと、大きく手を振ってカメラに応えました。雨は、10分ほどで止みました。
 今日は日曜日で、大勢の子どもが参加していたから、雨が止んでよかったです。行進は、郊外から銀天街、大街道と1時間あまり歩き、終点の松山市役所へ着きました。
“母べい”は戦争に反対です!をアピールする「平和婦人会」の人たち
 行進者には、手作りの横断幕を持った人たちが多くありました。白いエプロンに「平和婦人会」のタスキを掛け「『母べい』は戦争に反対です」の横断幕を持った人たちが、つよく印象に残りました。「平和婦人会」について質問しますと、会の組織はなく、愛媛医療生協の人たちでした。タスキに書いた「平和婦人会」は、戦時中の「国防婦人会」に反対する意味合だそうです。今日の行進は、参加者約120人で4.5q歩きました。
 行進終了後、私のために昼食交流会を開いていただました。出席者1人ひとりから、丁重な激励の言葉をいただき、目頭が熱くなりました。
 「平和遍路」は、昨日タイムアウトなった第52番太山寺を訪問しました。太山寺の境内は相当に広く、坂や階段を上って行きました。本堂は国宝です。住職さんは、留守でした。八十八ヶ所霊場には、国宝が多いようです。昨日訪問した石手寺の仁王門も国宝でした。八十八ヶ所を全て歩いてまわり、ゆっくり見る日が来るのでしょうか。