竹田昭彦日誌(#02)5月12日(月)
第3番霊場 金泉寺から賛同署名をいただく
鳴門市役所で平和行政の推進を要請=左壁側が市の出席者
 今日は、午前10時に鳴門市役所を訪問し、市長さん及び議長さんへ、平和行政の更なる推進や、原水爆禁止四国大会・世界大会への支持・賛同の要請をしました。
要請は、市役所の応接室で行われ、行進団から山本正美実行委員長をはじめ8人が、市当局から企画総務部長、議会事務局次長など4人が出席しました。
市は、財政的な支援は難しいが、支持・賛同などについては上部と検討する、とのことでした。
 鳴門市には、日本が第1次大戦で中国山東半島のドイツの租借地青島に侵略したとき、敗れたドイツ兵約5千人を俘虜にし、その1部を収容した坂東俘虜収容所がありました(1917(大正6年)〜20年)。
 地域の人たちは、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、ドイツの進んだ技術や文化を取り入れようと、牧畜、製菓、西洋野菜栽培、建築、音楽、スポーツなどの交流をしたそうです。
 そのような経緯から、ベートーヴェンの交響楽第9番を、日本で初めて全曲演奏したのが鳴門市です。これが、暮れの第9演奏に流行っていったのでしょうか。
 鳴門市はドイツ館をつくるなど、国際友好活動が活発なので、核兵器廃絶、戦争反対など、世界平和への取り組みも強化して欲しいと思いました。
鳴門市を行進
 鳴門市の行進は、昨日のお遍路コースに続き、今日は市役所周辺を2qほど行進しました。
 その後、昨日住職さんが留守だった第3番霊場の金泉寺を訪問しました。住職さんにお会しますと、こころよく賛同署名をされました。昨日の要請が伝わっていたようです。
 住職さんは、スポーツシューズを履かれ、若く見えましたので、「お若いですね」と話ますと、「いや、50代です」と答えられました。私の歳も話し、親近間がわきました。住職さんは権威が高く、礼儀を知らない私には緊張感が走りますが、そんなことはないようです。
 昨日の霊山寺の住職さんの挨拶も、意外に思いました。原爆の灯を灯す話があったとき、断わりきれず「逃げたい」思いだったそうです。灯を消さないで、灯し続けることに、責任をもてないと感じていたからです。住職さんが胸の内を「にげたい」と話された時、私はびっくりししていたからです。灯すのを決断したのは、親類に広島で被爆した人があり、苦しみを訴えながら亡くなった様を、思い起こしたからだそうです。
 第1番霊場の住職さんには、平和行進以前に署名をいただいていますので、第1番から3番までいただいたことになります。今後の行脚(平和行進)に、大きな力をいただきました。
 今日の行進参加者は8人で、2q歩きました。賛同署名は、第3番霊場の金泉寺からいただきました。