竹田昭彦日誌(#90)8月03日(金)


〈被爆者が逃れて道に思い込めて歩く〉

船坂峠を通る行進団=広島市安芸区
 今日の行進は、坂町、海田町、広島市安芸区、府中町です。
 台風5号は昨日から今朝にかけ、九州から山口県を通過して日本海へ抜けましたが、まだ雨風が残っています。
 行進は、風で桃太郎旗など飛ばされる心配から、実行委員会の指示で、先頭のリレー横断幕だけ持って歩くことにしました。
 行進が坂町役場を出発すると、前を行く宣伝カーから「先頭を歩いておられる通し行進者の竹田さんは、東京から広島まで歩きつづけ今日で90日目です」「雨の日も、風の日も1日も休まず歩きつづけ、沿道の皆さんに核兵器をなくしましょう、と訴えています」と、流れました。今日のアナウンスの原稿に、組み込まれてあったのです。私の名前が何度も出て、恥ずかしく思いましたが、役目上、恥ずかしがっておれません。意を決し、横断幕の前に出て、元気に手を振って歩きました。
坂町原爆犠牲者の追悼碑=坂町
 今日の行進地域は、原爆が広島に投下された爆心地の東側にあたります。当時、東側の方は列車が動くということから、県北に行くにも、呉方面に行くにも、東側の府中、海田、瀬野、矢野などに助けを求めたようです。広島駅付近から線路・陸路を伝わり、東側に非難された方は、約45,000人あったといわれます。海田町には5,150人、東海田村には2,830人との記録もあります。原爆投下約3時間後には、海田市駅へ40〜50人が来て、「手当てをしてくれる所を教えて欲しい」「家に連れていって欲しい」と訴えられたそうです。
 今日の行進で訪問し、黙祷した「坂町原爆犠牲者の追悼碑」には、逃れてきて亡くなった犠牲者がまつられています。広島市安芸区で行進した船越峠(旧山陽道)は、逃れてきた人たちが歩いた峠です。行進が終了した場所の、府中町役場前の慰霊碑は、近くの小学校に収容され、間もなく息絶えた犠牲者を焼いた場所です。その数は、400人とも、500人とも伝えられるだけで、正確な人数や名前は分かりません。
 逃れる途中で息絶えた人や、助けを求めて歩き続けた人の様子を思い浮かべながら、厳粛な気持ちと、戦争をなくしたい気持ちを思い込めて歩きました。
 夜は、広島県労連の建物がある会館の「広島ロードビルホール」で「平和行進通し行進者ご苦労さま会」を開いていただきました。90日間歩いてきた思い出と、お礼を話しました。
 今日の行進参加者は、各区間が40〜50人でした。歩いた距離は12qです。坂町役場訪問では、教育長さんから歓迎と激励のあいさつをいただきました。海田町役場訪問では、町長さんから歓迎と激励のあいさつをいただきました。広島市安芸区役所訪問では、区長さんから歓迎と激励のあいさつをいただきました。府中町訪問では、町長さんから歓迎と激励のあいさつをいただきました。