竹田昭彦日誌(#80)7月24日(火)


〈岡山弁でシュプレヒコール〉

平和行進「歓迎」のポスター
=倉敷市船穂町の柚木宅
 今日の行進は、倉敷市内の船穂支所から出発して、玉島支所を通り、浅口市の金光支所までです。
 行進中の人たちが、ハンドスピーカーのリードで唱和するシュプレヒコールを、岡山弁でリードする人がありました。隊列の中から、笑いがこぼれます。標準語ではない、シュプレヒコールを聞くのは、初めてです。聞いて直ぐには、発音の仕方や、意味不明なところがありました。
 例えば、「どがーな戦争ものーなせー」、「核兵器をのーなすんじゃー」、「わしらーは平和がぼっけー好きじゃー」などです。
 何回か、繰り返していると、だんだん分かってきて、新鮮みを感じました。このような試みも、行進者の歩きの雰囲気に変化を与え、よいアイデアだと思いました。
 岡山弁のシュプレヒコールを聞いた沿道の人たちが、どのような受けとめ方をするのか、知りたいと思ったが、人通りがなく、分かりませんでした。
冷やし素麺とおにぎりの昼食風景
=23日、倉敷市の真備歯科診療所
 朝の出発式のときに総指揮者から、船穂町で、第1回目の平和行進から参加しているという、柚木進子さん(93歳)の紹介がありました。今日は、体調が悪く不参加で、娘の康子さん(62歳)が参加しているとのことでした。康子さんに伺うと、入院しているとのことでした。
 進子さんは、第1回目当時に看護士をされており、病院長のすすめで歩いたそうです。娘の康子さんも、お母さんに連れられて、子どものときから平和行進に参加し、署名活動もしてきたと言います。柚木さんの家の前を平和行進が通ると、「歓迎 平和行進」のポスターがありました。
 玉島町には、第1回目の行進が玉島を通ったときに参加して、終点の東京まで歩いた増本紫雲さん(女性、故人)歴史があります。紫雲さんは、第1回目後も通し行進を続けたそうです。この地域が「岡山の平和行進発祥の地」だと、岡山県の人たちは自負しているようです。岡山県では、平和行進を20年も続ける婦人と、何人もお会いしました。先駆者に励まされているようです。
 平和行進がはじまって50回目になるので、今年の長崎の世界大会では、分科会や全体集会などで「特別プログラム」を組み、平和行進の歴史に学び、次世代へ引き継いでゆく企画をして欲しいです。
 昨日と今日の昼食では、地域の人たちから、冷やし素麺が提供されました。美味しく、おかわりして食べました。
 今日の行進参加者は、各区間により35〜60人でした。歩いた距離は14qです。
 倉敷市の玉島支所訪問では、支所長さんから歓迎と激励の挨拶をいただきました。