竹田昭彦日誌(#29)6月03日(日)


〈公園になった依佐美基地〉

行進中に署名をする沿道の青年
=知立市
 今日の行進は、知立(ちりゅう)市と刈谷市です。
 愛知県の行進では、行進と並行して国連へ提出する「すみやかな核兵器の廃絶のために」の署名をしてもらっています。毎日、100〜200筆の署名をいただいています。この行動には、若い人たちの参加が多いです。署名数は、署名行動に参加する人の人数に比例します。そして、いろいろな人に話しかけ、お願いしますから、いろいろな応えが返ってきて、話し合い、勉強になります。
 署名行動に参加する若い人が多いのは、なぜかと聞きましたら、10数年前から高校生たちの「平和ゼミナール」活動が生まれ、引継でいるからだそうです。当時の高校生たちは、家庭を持つ年代になり、今も平和行進で活躍していました。
子どもも平和行進参加者票に記入する=知立市役所
 刈谷市の行進では、依佐美(よさみ)送信所跡地で休憩しました。この送信所は、米海軍の基地になっていた所です。
 戦前は、1941年(昭16)の真珠湾攻撃命令「ニイタカヤマンボレ」を発信した場所でもあります。
 ここから発射する電波は、周波数が17.442KHzの低周波(長波)で、出力も高く(700Kw)、地上と電離層を反射しながらヨーロッパ迄も届く規模です。送信業務開始は、1929年にさかのぼります。その送信所を米軍が基地にしたのは、この電波(低周波)が、海中にも届く特性があるため、潜水艦との送信に利用したのです。
 依佐美米軍基地は、地域住民の粘り強い運動で、1994年に返還させました。今は公園になり、大型遊具もあり、多くの子どもたちが遊んでいました。かつては、子どもがアンテナの鉄塔(250m×8本)に近づき、誘導電圧で感電死する事故も起きています。
 依佐美送信所跡地で休憩する前に、行進団は近くにある願行寺を訪問しています。願行寺には、感電事故にあった子どもの「受難の像」があります。みんなで焼香しました。願行寺の梵鐘には、「平和の鐘」と刻まれ、そして8本のアンテナの絵と、一対の飛天の絵が刻まれてあります。基地の撤去を勝ち取り、天を舞い、世界(宇宙)平和の喜びを表しています。和尚さんと飛天の由来である莫高窟(中国・敦煌)の話をしながら、戦時中に願行寺の梵鐘も軍に供出させられたことを聞きました。「平和の鐘」は撤去させた、「依佐美米軍基地」のアンテナのアース銅線を溶かして鋳造してあります。
 こうして作った「平和の鐘」は、世界に一つしかないと、和尚さんは話されました。