<竹田昭彦日誌(59)8月03日(日)>
被爆者の避難先だった安佐郡
広島市安佐南区役所での出発式
8月3日、今日の行進は午後からで、広島市安佐南区役所から同区の新庄橋北詰までです。
午後1時25分、安佐南区役所の出発式では、農林建設部長さんから区長さんの激励メッセージとペナントをいただきました。
かって、安佐北区と安佐南区を要した当時の安佐郡は、広島市の主要な避難先でした。広島市内99ヶ町中、82ヶ町の避難先が、安佐郡内の町村です(S20年4月17日指定)。
広島市から県の郡部に避難した被爆者総数149,188人中、51,875人が安佐郡内の町村でした。
被爆者も、多く雛してきたそうです。そして、被爆者の多くが間もなく死にました(広島医療生協津田診療所30周年記念誌より)。
この地域を、昨日と今日と、核兵器も戦争もない平和な世界を訴え、行進できて良かったと思います。
昨日の昼休み、ショッピングセンターの椅子に腰掛けていたとき、隣に腰掛けていたご婦人が、私のタスキを見て「何ですか」と、声をかけられました。原水爆反対で富山から行進してきたことを話しますと、「私は被爆者です」、と話されます。身近な所で被爆者と会え、広島の実状を知りました。
最後に、「がんばって下さい」と、言われました。午後の行進に力が入りました。
今日の参加者は、100人以上で、歩いた距離が3.5�劼任后�