竹田昭彦日誌(#01)5月01日(火) 

《 10年来の思い 》

自宅出た竹田(撮影山口勝典)

 平和行進の通し行進に参加したいと思ったのは、48歳のときでした。
 動機は父の戦死にあり、戦争のない平和な世界を願っていたからです。
 当時、「北海道から東京まで」通し行進をする計画を立ててみましたが、仕事を辞めないと無理でした。土曜、日曜と有給休暇2年分を使っても、3ヶ月間は休めません。
 そこで、60歳の定年を待ちました。
 2001年3月31日、定年を迎えました。
 いよいよ平和行進への出発です。
 5月1日7時40分、自宅を徒歩で出て、横浜市営地下鉄の「舞岡駅」へ行きました。
 駅では、知人のプロカメラマン山口勝典さんとお会いしました。平和行進のタスキを掛けて写真を撮っていただきました。山口さんは、遠路わざわざ私を見送りに来られたのです。私の行進を追って写真を撮る計画があるようです。
 午後、航空便と列車を乗り継いで札幌駅へ着き、北海道原水協事務局長の岩淵尚さんとお会いしました。事務所を訪問すると、北海道内通し行進者の佐藤茂三さん(北海道木古内町)とお会いしました。
 岩渕さん、佐藤さん、竹田で夕食をしながら、通し行進の夢をふくらせましました。


 *2001年原水爆禁止国民平和大行進の「竹田昭彦日誌」は、当時記録していた日記を基に2009年10月以降に書いた文です。
   なお、行進の参加人数や歩いた距離は、おおよその数字です。